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2011年12月アーカイブ

太陽の復活祭

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RIMG0078.JPG

 今日は冬至。

 一年でもっとも日照時間の短い日である。

 日本では二十四節季の一つである「冬至」は、毎年、十二月二十日前後に訪れるが、その日は柚子湯に浸かったり、カボチャを食すと風邪を引かないと言われている。だが、科学的根拠として「北半球では太陽の南中高度がもっとも低い日」なので、世界的にこの日が「太陽の復活祭」と位置付けされている。

 つまりこの日を境に太陽が新しく生まれ変わり、また少しずつではあるが日照時間を伸ばし、あらたにその力を復活させるのである。

 実はクリスマスの起源も元をたどれば「冬至祭(ユール)」で、4世紀の頃、12月25日を「太陽が甦る日」と重視するローマ帝国では、広く普及していた太陽信仰のミトラス教と、当初迫害されていたが勢力を広げ続けるキリスト教の二大勢力があり、ミトラス教でも「征服されることなき太陽の誕生日」として12月25日が最も重要な祭日とされた。

 昨年、シアトルに住む占星術師の知人から、この「太陽の復活祭」の意味合いを教えられ、昨年よりクリスマスを「大きな顔をして」祝えるようになった。

 と言うのも、クリスチャンでもないのにクリスマスを待ち望む自分に、些かの疑問も抱いていたからである。だが「太陽の復活」を待ち望むことは、北半球に暮らすすべての人々に共通することであり、しかも寒冷地に暮らす者にとっては、その意味することは重大である。

 と言うことで、異教徒にとってもクリスマス、いや、「太陽の復活祭」は、暮らしに根ざした祭事ということになるのである。






塵も積もれば山となる

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与儀撮影.jpg

 ここに一枚の写真がある。

 撮影したのは28年ほど前、ボクがまだ24歳か25歳の頃である。

 撮影してくれたのは与儀達二氏で、「朝日広告賞」など、数々の賞を受賞した巨匠で、当時、銀座松屋の広告撮影の仕事でよくモデルとして使っていただいた。

 その特殊な撮影スタイル、そして素晴らしい仕上がりに感服したボクは、自分の資料用写真の為に与儀氏にお願いして、氏のスタジオで撮影したのがこの写真である。

 撮影中、音楽や絵画、読書や料理の話をしてくれ、合間にはフルートの演奏までしてくれた。撮影後には夕食までご馳走になり、与儀氏の多才ぶりと、そのホスピタリティの素晴らしさに、ますます敬服した記憶が鮮明に残っている。

 その時、小学生だった与儀氏のご長男と、フェイスブックを通じて「友達」になった。今ではお父様と同様にカメラマンとして活躍されている様子である。

 で、この秋から本格的にモデルとして活動する為に上京した次男に、与儀氏のご長男と会ってみることを勧めた。ボク自身が彼が小学生の時にしか会っていないのに、随分と無責任な話かもしれないが、それでも与儀氏(息子さんの方)は次男と会うことを快諾してくれた。

 で、会って、二人は大いに意気投合したらしく(おそらく与儀氏が次男のレベルに合わせてくれていると思うのだが)、数日前に次男から連絡があり、「今度、二人で河口湖に遊びに行くよ!」と興奮した様子で電話が掛かってきた。

 モデルをしている頃から、周囲から(所属モデルクラブの社長も含め)浮世の塵みたいな職業と言われていた。いくら売れっ子になっても儚い夢だと。少しでも早く現実を見つめ、きちんと将来のことを考えろ、とも言われた。

 確かに不安定な職業で、年老いていつまでも続けられる仕事ではない。自分自身のこれまでを振り返っても、決して順風満帆ではなかった。

 だがそれでも多くの素晴らしい人に出会い、いつも誰かが助け舟やチャンスを出してくれて、次の波に上手く乗れた。時には波間でもがくこともあったが、いつのまにか優しいうねりがやってきて、また再び波に乗っていた。

 遠い、遠い祖先が自分を見守ってくれるのか、あるいはまだ会ったこともない誰かが、いつも自分を応援してくれるのか、それとも仕事で出会った人たちが、また他の仕事を与えてくれるのか。

 いずれにしても、直接的、間接的に、多くの人々の世話になりながら、今の自分が存在する。

 そして「浮世の塵のような仕事」に携わってきた割には、親子二世代に亘ってお付き合いいただける人がいる。

 確かに儚い職業かもしれない。が、どんな職業に就いても人との触れあいに違いはないのだ。

 それをひとつひとつ大切にしていけば、塵も煌めく瞬間があるのだ。







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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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