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2010年4月アーカイブ

自家製アンチョビ成功!

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 snap-shooter様、並びに皆様。
 お待たせしました! 自家製アンチョビの報告です。
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 4月15日に、約一ヶ月の時を経て、塩蔵の眠りから覚めたイワシたち。
 イワシ本体から出た水分(ナンプラー)をまず最初に瓶にとりわけ、イワシに付着した余分な塩を海水(約3%の塩水)で落とす。想像していたよりイワシはしっかりと堅い感じで、水分を出しきった感触。
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海水で塩を丁寧に洗い流した後、ティッシュペーパーで水分を取り除き、煮沸消毒したビンに整然とイワシを並べる。そしてすべてのイワシがきちんと浸かるくらいにオリーブオイルを注ぎ入れる。
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 で、昨日、待つこと約10日間。
 実は一週間ほどで熟成すると分かっていたが、ウルトラマラソンの直前で、万が一、腹を壊したら走ることは不可能と判断して、レース終了まで開封を待っていたのだ。
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 まずはオリーブオイルから取り出し、細かく包丁で刻み、それを口に運ぶ。缶詰のアンチョビより魚臭さがなく、ちょっと肩透かしを食った感じ。で、どっちみちペースト状にして使うので、フードプロセッサーに入れ、浸かっていたオリーブオイルを加え、さらにはニンニクを加えてスイッチオン!
 出来上がったアンチョビペーストを、茹でたジャガイモに載せて食べてみた。
 いやあ...旨いのなんのって。まったく生臭さはなく、濃密な味わいで塩加減もばっちり。
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 トルティーヤにたっぷりと塗り付け、溶けるチーズを載せてオーヴンに。何枚でも食べられる。さらには生クリームと一緒に混ぜ合せ、ブロッコリーとエビをそのソースに絡める。いやあ、マイッタ! 旨い!
 気がつくといつの間にか白ワインのボトルが空になっている。調子に乗ってもう一本。
 レース後、久々にグルメな夜を満喫したのであった。
 ではオサライ。
 まずは新鮮なイワシを買ってきて三枚におろす。べつにカタクチイワシにこだわる必要なし。マイワシでも十分。(と言うか、マイワシの方がボリュームがあってよい。
 で、塩で全体が埋まるくらいにイワシを並べ(目安としてはイワシの全体量の20%の粗塩。イワシが100グラムなら塩は20グラム)、水分が出やすいように重しを載せる。(ペットボトルに水を入れ、それを載せた)
 で、一ヶ月、冷暗所で寝かし、後は上記のような手順。
 時間は掛かるが、まったく手間なし。
 是非、皆さんも自家製アンチョビ作りに挑戦してみてください。





鬼が笑う

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 これまで、いろいろなレースにチャレンジしてきた。で、そのレースの内容が厳しければ厳しほど、決まったように直後に人は尋ねる。
 「来年、もう一回やりたいか?」
 ボクの答えはいつも「NO」だ。
 終わった直後、精根尽き果て、少しでも早くからだを休ませたいと思う。
 昨日の「チャレンジ富士五湖」の後も、やはりすべての体力、気力を使い果たし、来年のレースはおろか、日々、走ることさえ無理だと感じるほど、疲労困憊しきっていた。
 それでもボクが出場したのはビギナークラスの72キロである。この他にも100キロ、112キロのクラスがあり、多くのランナー(ちなみに今年の参加選手は2500名ほど)たちが早朝から夕刻まで、自己への限界にチャレンジしていた。
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 これまでにもアドベンチャー・レースなどで、200キロ、300キロという距離は経験がある。が、そのどれもが走るのみではなく、様々な競技の複合であったし、 日数もそれなりにかけていた。一日で72キロもの距離を走るのはこれが初めて、まさに「チャレンジ」だったのだ。
 それでも42キロまでは、予定通りの展開だった。1キロ6分20秒くらいを刻み続け、42キロ時点でのタイムは4時間半。ここのエイドステーションでたっぷりと栄養補給をして、残りの30キロを1キロ7分から7分半で走りきろうと考えていた。が、これまでにフルマラソンは十数回走っているが、それ以上の距離は未知数である。
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 42キロでたっぷりと休養、補給をしたせいか、最初はこのまま1キロ6分台をキープできのではないか、と思えるほど調子が良かった。だが50キロあたりになると心拍数が上がる割にはスピードが出ない。55キロを過ぎるあたりに大きな下り坂があり、そこを慎重に歩くようなスピードで降りたが、そこで足が攣ってしまった。こうなるともうどうにもならない。その先、60キロ地点で妻や友人が待っていて、最後の12キロを一緒に走ってくれる約束だったが、そこまでは歩くことと走ることを交互に繰り返し、妻たちと会った時にはほとんど歩いていた。
 マラソンを始めた当時、今から25年ほど前のことになるが、ハーフマラソンに出場して、折り返しで同じように足が攣り、残りの10キロを歩いた経験がある。15年ほど前に出場した静岡県の掛川マラソンでも30キロ地点で足が攣り、残りの12キロをだまし騙し歩いて完走した。心肺機能にはなんの問題もない。体力もまだ残っている。が、走ろうとすると足の筋肉のあちこちが一斉に悲鳴を上げる。
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 当初の予定より1時間ほど遅れて、電光掲示板が示すように9時間24分でなんとかゴールしたが、惨憺たるレース展開となったのである。
 もちろん昨日は二度と、このようなレースには出ない...と思った。が、一晩眠り、レースの内容を細かく振り返る。
 <今回は塩飴を持っていなかったので、ミネラルの補給がまずかったのかな...水分をもっと多く摂るべきだったな...エイドステーションでもう少し休めば良かったかな...前半のスピードをもう少し抑えるべきだったのかな...>
 反省材料が次々と頭の中を過ぎる。
 <それらをひとつひとつ、今後の練習で検証していかなければ>
 課題を検証して、その結果を見出さなえればならない。
 「来年、もう一回やりたいか?」
 答えは「YES」である。
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Untouchable

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 昨日と打って変わって、今日は氷雨のような冷たい雨が降っている。気温も5度。こう毎日、季節が2ヶ月ほど違うように天候が不順だと、体調管理も着用管理も大変である。まったく今年はどうなっているのか...
 ところで、話はまったく違うが、クッキングが好きである。いや好き、嫌いの問題ではない。自分自身で料理本も何冊か出したし、料理番組にもよく出演している。もっともメディアではアウトドア・クッキングが中心だが、日常でも料理を作っている。好き嫌いの問題を超えて、クッキングは自分の一部となっている。が、デザートにはこれまで手を出さなかった。
 何故か? 
 ほとんどのデザートは化学反応だと思っている。分量、容量、素材などのレシピをキチンと守らなければ、膨らむハズのモノが膨らまなかったり、固まるハズのモノが固まらなかったりする。そこが苦手だった。
 クッキングの真髄はアレンジだと考えている。素材のアレソレがない、時間がない、調理器具が揃わない...そういう難題を自分のアレンジで乗り越えて、美味しい料理を食卓に出すのが、クッキングの醍醐味だと感じている。だからこれまで、デザートには手を付けなかったのだ。
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 が、最近、チョコレート・ブラウニー作りに嵌っている。もともと、チョコレート・ブラウニーが好きだった。で、周辺の女性に甘えた声色で(自分でも似合わないと思うが)ブラウニーをリクエストするのだが、やはり誰も作ってくれない。
 先日、サイパンに行ったことはこのブログでも報告した。で、サイパンのスーパーマーケットでブラウニー・ミックスを買ってきた。それを使って、ブラウニー作りに励んでいるのだ。だから作っていると言ってもインスタントなのだが、それでも毎回、作り方をアレンジしている。小麦粉を足したり、卵を増やしたり、オイルを減らしたり...目指すはニセコの「NAC(ニセコ・アドベンチャー・センター)」内「JOJO's」のブラウニーである。
 「JOJO's」はニセコに滑りに行くと必ず行くレストランで、食事を終えた後、そこのハンドメイド・ブラウニーを必ず買って帰る。一枚100円で、少し固いチープな味のブラウニーである。が、これがなかなか美味しい。チョコレートとナッツがしっかりと詰まった、しっとりブラウニーも好きだが、エナジーバー感覚で食べられる、カリッとした感触のブラウニーも好きだ。
 で、その両方の味覚のブラウニーを作っているのだ。
 そして作るからには毎日食べる。お陰で少し体重が増えた。3日後にウルトラマラソンを控えるいるのに、これはまずい...だがそこにあるとつい手が出る。
 やはりボクにとってはアンタッチャブルな世界だったのか...




今日は春爛漫

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 人はなにを以て、春の訪れを感じるのだろうか?
 今朝は起きた瞬間から、春の気配を感じた。
IMG_3557.JPG 窓の外を見ると、満開の桜と新芽を出した白樺の背景に湖が見え、朝靄が湖面を白く埋め尽くしている。温度計を見るとすでに10度もあり、軽装でジョギングに飛び出した。
 午前中からどんどん気温も上がり、昼前には20度近くに。
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 近くの山に登り、そこから湖を見下ろす。夜桜見物の名所である「富士ビューホテル」もこんもりと桜の森に包まれ、小海公園の桜並木も整然と盛りを競っている。登山道の階段には青く小さなスミレが密かに咲き、ミヤマツツジが紫色の蝶のように枯れ木に浮かび上がる。
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 先週の週末には季節外れの大雪が降り、咲き始めた植物たちを冷たく包んだが、今日は春爛漫。吹く風までも光り輝いているのだ。
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 佐渡の旅の帰り、新幹線で駅弁でも食べながらのんびり酒を飲み、サイパン、佐渡と続いた旅をじっくりと振り返ろうと目論んでいたが、その日の夕方からNHK甲府のラジオ生番組が入り、結局は大人しく読書をしながら帰って来た。
 ラジオでは12分間、今の季節の富士山と富士五湖の楽しみ方...というような内容を話しさせていただいた。
IMGP3322.JPG で、一緒に写っている可愛いお嬢さんは歌手のJINCOさん。
 山梨県出身のアーティストで、現在はJリーグ「ヴァンフォーレ甲府」の応援歌を歌っている。その応援歌を含め、生番組で2曲、歌を披露してくれたが、うーん...! やっぱり巧い! 本物の歌手ってやっぱ違う! すごい! 惚れぼれと聴いてしまった。
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 さて生番組なのですでに番組は終了してしまったが、ボクから二つ、お報せ。
 お報せその1
 5月23日の日曜日、竹芝桟橋「竹芝客船ターミナル」に於いて、「島じまん」というイベントに出演する。ボクのトークショーの他、ボクが愛用する新富士バーナーのアウトドア・グッズや、ルミノックス製品などのプレゼントもあり。
 お報せその2
 6月5,6日の土日。シーバースリーガル主催のアウトドア・ツアーが開催される。もちろんガイドを務めるのはボク。
応募人員は30名。カヌーやトレッキングなど盛り沢山。もちろん美味しいダッチオーヴン料理も。





佐渡の旅、おまけ

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DSCN3876.JPG 上の写真と下の写真を見比べて欲しい。
 上の写真は6年前、2004年の10月にスイスを旅した時、「ブリーグ」という駅で撮影したモノ。この時はボクにとって初めてのスイスで、この「ブリーグ」がスイス国内のハブ・ステーション的役割をしていることは知らなかった。ところがその後、3回、スイスに行き、いずれの旅でもこの駅で乗り換え、その度に記念撮影をした。こうして「ブリーグ」はボクにとってスイスの中でも、もっとも馴染み深い駅となったのだ。
IMGP3192.JPG で、下の写真。
 これはつい先日、佐渡島へと旅立つ日の朝、河口湖駅で撮影したモノ。
 良く見ると上の写真では駅名の看板の上に、下の写真では電車の側面に、同じ文字が記されている。
 「matterhorn gotthaerd bahn」
 これはスイスの「マッターホルン・ゴッタード鉄道」と「富士急」が姉妹提携を結んでおり、その記念に富士急が走らせている車両である。さらによく見ると、富士急の車両には「sister railway」の文字も見える。
 この日の朝、富士急に乗って大月まで向かったが、同じ車両には海外から来た大勢の若い観光客が、大きなバックパックを背負って乗り込んでおり、その光景と併せて、スイスの旅が懐かしく想い出されたのである。




素晴らしきかな郷土愛

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 「佐渡トキ、マラソン」の後、奈美子さんに島内を案内してもらい、中野家で夕食をご馳走になった。
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 すでにお伝えしたが、奈美子さんのお父上、中野洸氏は新潟県会議員である。1971年に地元、小木の町議会委員として政治家としてのキャリアをスタートさせ、以来、40年近く、地元の為に尽力されている。で、奈美子さんもそんなお父上の血を脈々と受け継ぎ、、3人のママでありながら「風待ちの会」という会を結成し、佐渡の持つ歴史、文化を、世間一般に拡げる活動をされている。
 佐渡島南端、小木町は、かつて佐渡で採取された金銀の積出港として栄えた港町で、大切な金銀を運ぶ船は、この小木の港で穏やかな「風を待った」という。その歴史は400年近くに遡り、その間、船乗りたちの宿場町として小木は栄えた。能や歌舞伎といった伝統芸能、「出鼻造り」「石見瓦」「飾り窓」といった歴史的建造物、それに多くの寺院。
 それらの歴史的価値を、「風待ちの会」は伝えるべく活動をしている。メンバーの中心は40代女性。浮ついた「アラフォー」のイメージはそこにはない。
IMGP3311.JPG この可愛いお嬢さんは、奈美子さんの次女。
 夕食の後、座布団に座って佐渡に伝わる民話を披露してくれた。
 自分たちが生まれ育った土地に強い関心を持ち、深い郷土愛を育む環境は、どんな教育より優るとボクは思っている。己のアイデンティティを確立してこそ、本物のコスモポリタンになれるのだ。
 小木の港に優しく吹く潮風を感じながら、強くそのように再認識したのであった。
 中野家の皆様、ホントに有難うございました。
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走るだけではモッタイない!

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 ここ数年、だいたいハーフマラソンは1時間35分前後で走っている。今回の「佐渡、トキマラソン」でも1時間36分だった。
 河口湖の自宅から、富士急、中央線、新幹線、ジェットフォイルと乗り継ぎ、約5時間かけて佐渡島にやってきて、たった1時間半ほど走って帰るのはあまりにもモッタイない。せっかくなのでマラソンの後、中野洸氏のご息女である奈美子さんに島内を案内してもらった。
IMGP3267.JPG 佐渡と言えばトキ。今回のマラソンレースのタイトルにもなっているが、乱獲や水田への農薬使用の影響などで、一時期は絶滅の恐れもあった。が、昭和初期に「佐渡には自然のトキがまだ生息している」と知られるようになり、その後、昭和27年に特別天然記念物として指定。昭和60年から中国と共同で人工的に繁殖させ、その数を少しづつ増やしている。
IMGP3251.JPG 放鳥されたトキが空飛ぶ姿を、実際にこの目で見たかったが、頻繁に現れると言われている奈美子さんお薦めの場所に行って待ったが、その日は残念ながら現れてくれなかった。で、仕方なく「トキ保護センター」へ。
 トキは非繁殖期(8月から1月)には、いわゆる「朱鷺色」と言われる薄いサーモン・ピンクのようななんとも言えない艶やかな翼を広げるが、繁殖期には首から黒い皮膚脱落物を分泌させ、それを自らの身体に塗り広げ、頭部や首、それに背中の一部を黒灰色に染める。外敵から身を護るための保護色の役割を果たしていると思われるが、保護センターにもそのような色をしたトキが数羽居た。他にも北アフリカ原産のホオアカトキや、東アジア原産の黒トキも数羽居たが、やはり「ニッポニア・ニッポン」、我が国のトキがもっとも美しい。
IMGP3304.JPG 「トキ保護センター」の後は、佐渡でもっともボクのお気に入りのスポット「宿根木」に連れて行ってもらった。8年前にここを初めて訪れた時から、その情緒あふれる風情に魅せられ、再びそこを訪れることを楽しみにしていた。
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 「宿根木」とは佐渡南部、小木港の近くにあり、かつて廻船業を営む者が居住して栄えた小さな地区で、今では重要伝統的建造物群保存地区(ヒエー! 長いタイトル)に指定されている。当時の船大工たちがその高い技術で建造した建物が110棟残っており、今でも実際にそこで生活が営まれている。
IMGP3294.JPG このような古い町の路地裏を歩いていると、不思議とヨーロッパの中世の町を歩いているような錯覚を覚える。イタリアのトスカーナ地方、ルッカやシエナ、あるいはスイス南部ルガーノ湖の湖畔、モルコーテの村...それは場所への旅ではなく、時間への旅だと思い知る。
 流人、金山、廻船業。それらの歴史が佐渡を古くから豊かに、文化的に形成し、現在にもそれを連綿と伝えている。
 マラソンで急いで走り抜けるだけではホントにモッタイない。あまりにも見るべきものが多いのである。
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佐渡トキ、マラソン

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 すでにお伝えしたように、サイパンから帰国した翌々日、今度は「佐渡トキ、マラソン」に出場する為に佐渡島へと旅立った。
 「佐渡トキ,、マラソン」は今回が記念すべき第一回目の大会で、ホントはフルマラソンに出場したかったのだが、2週間後にウルトラマラソンで72キロを走らなければならないので、今回はハーフマラソンの部に出場することになった。
 実は佐渡島選出、新潟県、県議会員である中野洸氏とは旧知の関係で、そのご縁で、このマラソン大会に招待していただいたのである。
IMGP3210.JPG ご覧の写真はハーフマラソン前に、MCの方から選手に向けて紹介していただいているところ。後方には傘を開いている人の姿も見えるが、この日の佐渡は小雨が降り、気温も低く、ボクは薄手のウィンドジャケットを着込んで出場。途中で脱ごうかと考えていたが、結局は最後まで着て走った。
IMGP3215.JPG コースは途中、アップダウンがあり、リストウォッチで確かめたところ、コース全体で標高差約180メートルあった。最初は両津港に隣接する加茂湖の周辺を走り、やがて水田地帯を抜けて行く。初めてみる「シダレ杉」の大木などを横目に、17キロ過ぎから海岸線を走ってそのままゴールだ。遠くには雪を頂いた金北山が見え、かなりダイナミックでユニークなコース設定である。
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 途中で写真撮影などをしながら走ったが、一緒に走ったアシスタント女性がカテゴリー別で2位となり、佐渡の美味しい梅酒を賞品に頂いた。
IMGP3244.JPG ちなみに一位の賞品はコシヒカリで、このあたりの郷土色がとても好ましい。ご覧のように会場には地元の名産品が売られたり、ラーメンや焼き鳥の屋台などもあり、とても和やかな雰囲気のレースである。
IMGP3246.JPG このように企業にあまり多くを依存することなく、地域色豊かで、アットホームな雰囲気のマラソン・レースが根づいて行けば、日本のマラソンブームも本物と言えるのである。





心豊かな南の島

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 以前は毎年のようにサイパンに潜りに行っていた。が、昨年の2月、ロタ島に行ったついでにサイパンにも立ち寄ったが、のんびりと滞在するのは8年ぶりのことである。
IMGP3180.JPG 久しぶりにゆっくりと滞在して、改めて感じたのは野良犬の多さ。もちろんリゾートホテル周辺や観光地では、その数は少ないものの、我々が滞在したホテルは民家と隣接する場所だったので、その多さが目についた。で、その野良犬の多くは何度も妊娠、出産したと思われ、お腹のあたりにくたびれた乳房がいくつもぶら下がっている。我々が幼い頃は、日本でもこのような野良犬がうろついていたモノだが、そうやって見てみると、ホテル周辺に建つ地元の人々が暮らす民家も、やはり我々の幼かった頃のそれと似ている。
 つまりサイパンの一般の人々の暮らしぶりは、45年ほど前(昭和40年前後)の日本に近く、決して経済的には豊かではない。しかしビーチロードは綺麗に整備され、ガラパンとススペの街を結ぶ6キロほどの道をジョギングしていると、遙かに我が地元である河口湖より歩道の整備が行き届いていると感じる。それに地元の人々の運転は歩行者にとても優しく、道路を横切ろうとすると、必ずと言っていいほど停車してくれるし、走っている傍を通過する車は徐行しながら大きくよけてくれる。
 つまり人々の心が豊かなのである。
 日本人、中国人、韓国人、フィリピン人、チャモロ人、カロリアン人、白人と、多くの民族が暮らし、観光地として成り立っているので、小さな犯罪は多いと聞くが、滞在していて治安の悪さは感じない。
 一時期、大々的に日航がホテルやショッピングモールを展開したが、数年前には撤退して、そのショッピングモールは今では廃墟と化している。
 この島には巨大な観光産業は似合わない。
 美しい海と、心豊かな人々、それに多民族が融合する食文化。それにほんの少し、アメリカの田舎を感じさせるスーパーマケットさえあれば、ボクにとってサイパンは十分なのである。
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Under the Sea

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DSCF6888.JPG 沖縄の慶良間、パラオ、そしてサイパン。ボクがダイヴィング・スポットとして愛する場所だ。
 モルディヴでも潜ったし、オーストラリアのグレート・バリア・リーフにも潜った。が、そこに至るアクセス、現地での食事等、もろもろのビフォア・アフターを考慮すると、中でもサイパンはベストだ。
 ボクがサイパンを気に入っている理由のひとつに、そこにもっとも信頼できるガイドが暮らしている、ということが挙げられる。
 写真、一番左側に写っているのはシゲさん。サイパン在住40年ほどのベテラン・ダイヴァーである。サイパンのほとんどのポイントが、シゲさんとその兄弟によって開拓されたことを鑑みれば、サイパンの「海の主」と言っても過言ではない。
 
DSCF6904.JPG 実はボクも、妻も、そして我が娘も、シゲさんに教わってダイヴィングのライセンスを取得した。それ以外にも友人たち数人が、同様に彼の教え子である。120%、海とダイヴィングを知り尽くした男である。
 そんなシゲさんと一緒に潜るスポットの中でも「グロット」は群を抜いて素晴らしい。
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 「グロット」とはその名の示す通り「洞窟」で、100段ほどの階段を降りて行くと、ご覧のように海に岩棚が浮かんでおり、そこからエントリーするようになっている。そしてエントリーして海の底を見ると、三つの洞窟が外海と繋がっており、その洞窟を抜けて明るい外海に出て行く。
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 その地形の美しさ、海の生物の豊富さ...これまでに30回近く、このグロットに潜っているが、いつも違った表情を見せてくれ、まったく飽きることがない。
 
DSCF6952.JPG 今回は娘の彼も一緒に体験で潜ったが、彼もすっかりとサイパンの海、それにダイヴィングの素晴らしさに惚れ込んだようである。
 
DSCF6963.JPG 美しくも厳しい自然の中で、信頼できるガイド、愛すべき仲間と一緒に過ごす瞬間は、なにごとにも代え難い、至高の時なのである。

 




わずか3時間の距離なのだが・・・

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DSCF7040.JPG サイパンに行っていて、昨日、帰国した。
 明日から佐渡島で開催されるマラソン大会に出場するため、早朝に自宅を出発することになっており、今日は分刻みで仕事をこなしている。今も酒も飲まずに(エライ!)PCの前に座り、このブログを書いているのだ。
DSCF7034.JPG サイパンはあたりまえだが暖かった。日曜日に日本を出発したが、その日の河口湖の朝の気温は氷点下近く。で、今朝は2度ほど。もう少しは暖かくなってくれていると期待して帰国したが、あまり変わっていなかった。それでも桜がちらほらと綻びはじめている。サイパンではご覧のように、色鮮やかな南国の花や植物たちでいっぱいだったが、寒そうな枯れ木の中に咲き始める桜や梅の花も、それはそれでいいものだ。(と、一応は強がる)
 下の写真はガラパンの街に隣接する「アメリカン・メモリアル・パーク」。ビーチロードから走って来て、ここもよくジョギングするコースだが、太平洋戦争で亡くなった米兵が奉られた公園だ。5年ほど前にビジターセンターも建てられ、太平洋戦争の記録や写真などが展示されている。サイパンに行くといつもはダイビングに明け暮れるが、今回はこの公園を散歩したり、のんびりと公園内のベンチで読書して過ごした。もちろんビジターセンターも見学してみた。
 ダイビングに関することは後日、お伝えしようと思っているが、とりあえずは帰国報告である。
 それにしても寒いなぁ...

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往復250キロの旅

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 先日、次男と東京までバイクの旅をした。
 一枚でも写真を掲載したかったが、カメラを持って行く余裕も、撮影する余裕もなかった。
 なぜ、そんなに余裕のない旅となったのか?
 旅の理由はこうだ。
 東京に住むモデル時代の先輩がかつて乗っていた原付バイクを、次男に譲ってくれるということになった。その原付バイクはかなりカスタムを施してあり、十分な手間と経費が掛けられていたが、先輩はその後、排気量400の中型バイクに乗り換え、その原付は今ではほとんど放置された状態だった。
 で、その家に遊びに行く度に次男は目敏くその状態を指摘して、譲り受ける約束にこぎつけたのであった。まあ奴はその辺の交渉術に長けている。
 で、先輩との約束では「独りでそのバイクを取りに来て、そのまま乗って帰る」というモノだったが、先輩にしてもボクにしても、東京、河口湖間約100キロを、原付で単独運転させる気持ちは毛頭なかった。
 結局はボクの排気量223の愛車FTRに二人で跨り、中央高速を使って東京まで行き、先輩の家で一泊、翌日、2台のバイクで下道を走って帰ってくる、という行程が出来上がった。
 しかしそれを実行する上で、準備することがあれこれあった。
 まず先輩の方は、「河口湖までなんとか乗って帰ることができるようにしてあげる」と次男と約束してあったらしいが、部品の一部が間に合わなくなり、当日になって東奔西走していただく羽目になった。ボクはと言えば、強風の中央高速を二人で軽量のバイクにしがみつき、車の倍の時間を掛けて都内に入り、一息付く間もなく、保険会社に名義変更等の手続きに行った。もちろんそれ以前に新たなナンバープレイトも取得していた。
 クラッチワイヤ、チェーン、オイル交換を済ませて、なんとか走れる状態になったバイクだが、どうしてもバッテリーの状態が悪く、ウィンカーランプの点きが悪い。ボクのFTRもオイル交換の必要もあったので、横浜にある馴染みのバイク・ショップに寄って行き、その辺りの最終整備もしてもらうことになった。
 都内から横浜までの走行も長かったが、バイクショップを後にして、国道246を走り始めてから、本格的な旅は始まった。
 横浜、御殿場間、約80キロほど。東名高速に乗ればわずか45分ほどの距離である。だが原付バイクと中型バイクの2台では、途中のランチタイム休憩を入れて、約3時間の旅となった。そこから河口湖まではさらに1時間である。
結局は朝10時半に世田谷の先輩宅を出発し、河口湖の自宅に到着したのは夕方の4時半。6時間のロングドライブとなったのだ。
 信号で停車する度に、お尻の痛さを軽減する為にバイクから立ち上がる。そして互いに顔を見合わせると、寒さのせいで洟も垂れている。ランチタイムにウエット・ティッシュで顔を拭くと、ティッシュは真っ黒。クラッチとブレーキレバーを握る手がかじかみ、自宅に到着した時には抱擁しあって互いの労をねぎらった。
 しかし旅の途中、ハンドルミラーに映る次男のヘッドライトの灯を確認し、遅れて大きく離れた時にはしばらくバイクを停めて待つ。見上げるといろいろな場所で桜が満開の時期を迎え、周囲の山々も春の気配に包まれている。特に厚木を越えてから御殿場まで、秦野や松田と言った長閑な山道を走っているときは、まったく見知らぬ街を旅している気分に包まれた。
 おそらく、再びこのような旅をすることはないだろう。次男ももうすぐ18歳。そうなれば今度は車に夢中になるはずだ。
 厳しい旅であったことには違いないが、この旅は、ボクにとっては確実に忘れえぬ想い出となったのである。 




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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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