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Great Lifeの最近のブログ記事

スイカズラの花のように

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 冬至が過ぎ去り、少しずつ陽が伸びてきているとは言え、1月中旬から2月中旬までの一ヶ月間は、もっとも気温が低い時期である。

 今年は雪も少なく、除雪作業が必要な纏まった雪は年末に降っただけ。それも翌日に降った暖かい雨によって融けてなくなり、毎朝の山のランもスパイクなしで走ることが可能だ。

 暖かい季節には太陽の動きに無頓着になりがちだが、この季節にはどこから太陽が登って、どこに沈むのか。その位置や時間にとても敏感になってしまう。そして今頃、地球の反対側の人々や動植物たちを温めているのだろうと、遥か彼方に注ぐ陽の光にまで思いを馳せる。

 寒くて深い夜、または雲に遮られた灰色の空の下に居ても、この地球上のどこかで輝く太陽の存在を知るだけで、我々は僅かながらも希望を見いだせるものである。

 そしてどんなに寒い季節でさえ、木々や草花の根は土中深くでひっそりと息づき、春の到来を我慢強く待っている。

 「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」

 シドニー五輪の女子マラソンで、見事、金メダルに輝いた高橋尚子選手は、高校の時の恩師から贈られたその言葉を、今でも座右の銘にしていると言われている。

 夏になると花のその甘い香りでうっとりとしてしまうスイカズラ。昔の人はこの蜜を吸ったことから「吸い葛」と読んだが、スイカズラは漢字で書くと「忍冬」。これはスイカズラの葉が、寒い季節でも美しい緑を保つからである。

 昨日、山を走っている時に、大木の根のえぐれた土の下から、こんなにも大きなツララが下がっているのを見つけた。さきほども言ったように、このところ雪も雨も降っていないので、土も乾燥しているように見えるが、実はこんなにも水分を含んでいるのだ。そしてその水分が、土の中に眠る植物たちを静かに育んでいる。そして春になれば、南から戻ってきた太陽が、芽吹いた新しい命をさらに大きく育てるのだ。

 そのように考えれば、冷たく凍りついたツララの存在でさえ、小さな希望の種に映るのである。

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献身的な愛

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 今から24年前、30歳の時にそれまで所属していたモデルクラブを辞めた。厳密に言うと社長と喧嘩してクビになったのだ。で、他のモデルクラブにも行く気になれず、ボクはまったくフリーランスの道を選択した。ちょうどアウトドア関係の仕事も増えて来た頃で、ジャンルに縛られるポジションを避けたいという思いもあった。だがフリーランスと言っても、ボクが留守の間に関係各方面と連絡を取り合ったり、仕事の依頼を受けたりする立場の人が必要だ。

 そんな時、彼女と知り合った。

 当時、彼女は二十歳。当初は経験的な意味で少し不安に感じたが、そんな不安を余所に、彼女は見事にマネージメント業をこなしてくれた。

 それから20年。モデルからアウトドア関連の仕事を数多くこなすようになり、書籍の執筆から講演会、それに数多くのコマーシャル出演するなど、多方面に亘る仕事をずっと陰で支えてくれた。

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 3年前に彼女の結婚を機に、20年間続いた我々のパートナーシップには一応のピリオドが打たれた。実は結婚前に彼女のご主人が病に倒れ、それから彼女はずっと看病を続けてきた。そしてその献身的な看病の甲斐あって、ご主人の病状も随分と良くなり、先日、銀座のレストランで結婚3年後の披露宴が開催されたのであった。

 本人曰く「お婆ちゃんにならない内にウエディング・ドレスを着なければ」とのことだったが、なんのなんの、白いウエディング・ドレスを纏った彼女は輝くように美しかった。そしてその美しさは、彼女の内面の計り知れない優しさで溢れていた。

 披露宴のスピーチでも言ったけど、短気でワガママな性格のボクを、今までよく支えてくれた。その強い忍耐力があれば、これからどんな困難でも乗り越えられると思う。

 本当に今まで有難う。そしていつまでも幸せに!

 









甘くて暖かいケーキ

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 「ワラーチ・プロジェクト」が終わって、はや2週間。

 後回しにしていた仕事をこなし、溜まった雑事を整理していたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 先日、開催された「富士山マラソン」に友人たちが出場し、その前日に我が家に立ち寄り、「ワラーチ・プロジェクト」の成功を祝して、ケーキをプレゼントしてくれた。

 ボクの隣で赤いハートを持っているのが、モデル時代から30年以上も付き合いのある女性で、3年前にはボクが伴走を務めて「河口湖マラソン」に於いてサブ4を達成している

 で、写真に向かってボクの右側でケーキを指さしているのが、彼女の友人で、今回の「ワラーチ・プロジェクト」を、Facebookのファンページその他、デジタル関係のメディア等で支えてくれた女性である。彼女もやはり「ワラーチ・ランナー」で、今回の「富士山マラソン」をご主人(写真、一番左端)と一緒にワラーチで完走した。

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 で、お祝いのケーキの説明。

 お祝いの言葉が二つ並んでいる。

「600キロ完走おめでとう」と「じゃなく500キロ」

 モデルの友人は少し「天然」気味で、メール等のやりとりで、今回の総走行距離を600キロと間違えた。事前の正式発表は約500キロで、実際に走った後の計測では約460キロである。

 で、まあそのあたりのメールのやりとりの可笑しさを、ケーキのお祝いのメッセージで揶揄している、という訳である。

 だが460キロでも500キロでも、または600キロでも関係ないと思う。

 このような友人たちの暖かい気持ちがあれば、どこまでも走っていける、と痛切に感じたのが、今回のプロジェクトのなによりもの収穫だったのだ。







「ワラーチ・プロジェクト」後記

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 一昨日の夜、神戸から河口湖に戻ってきて、昨日の朝は足和田山を走った。

 スパーキーは長旅から開放されるように、元気に山道を駆け抜け、途中、二頭の大きな鹿を追いかけ、久しぶりに自由な散歩を楽しんでいた。

 河口湖の紅葉のピークは過ぎ去り、富士山は完全に冬の表情に変化していた。

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 我々のバトンと、みんなから励ましのメッセージを書いてもらったバナーは、すでに「BERT」のライダーによって盛岡に運ばれ、もう間もなく、写真家の山田周生氏の手によって釜石にある「津波記念石」に到着するはずだ。

 こうして連綿とみんなの思いが繋がっていく。

 片山敬済氏の報告によれば、我々が18日間走る続けている間に直接受け取った支援金は58800円で、それ以外にも「BERT」の口座にも支援金が集まっている。ただひとつだけ理っておかなければならないのは、古い友人である外山氏から弁天島で受け取った支援金1万円は、今回のプロジェクト中に我々の食費等に消えた。外山氏がそれを我々に手渡す時に「これは被災地への支援金ではなく、トウキチさんに温かいモノを食べて欲しいからです」と言って頂いたからだ。そのことだけは、ここできちんと報告しておきたかった。

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 その外山氏からのキャッシュ以外は、すでにこのブログで報告したように、多くの方からの差し入れや、現場での手作り料理の振る舞いによって、このプロジェクトは支えられた。

 こうして数字にすれば、正直に言って我々の活動は微々たるモノしか生み出していないような気がするが、少なくともボクの心には、計り知れない大きモノを植え付けた。

 これまでにも「貨幣価値」に付いて疑問を抱いていたが、今回のプロジェクトを通じてそのことに付いて再認識し、今後はその問題についても取り組んで行きたいと思っている。

 人の心の価値を、貨幣に換算するのには無理がある。

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 足和田山を走り終え、熱いシャワー浴び、最後の朝食を済ませ、ケイは自分が住む横浜に帰って行った。

 バス停で長い抱擁を交わし、近い将来また一緒に旅をしようと誓った。バスに乗り込み、車窓から割れるような笑顔で手を振るケイ。

 ふと気が付くと、バス停にクリスマス・ソングが流れていた。

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 数年前、ある女性誌で「木村東吉夫婦と一緒にホノルルを走ろう」という連載企画があった。その企画には6人の40代女性が選ばれ、ボクがその6人を8ヶ月に亘ってランニング指導をして、ホノルル・マラソンを完走させようという内容であった。

 で、5人は見事、4時間台でフルマランを完走し(一人は体調不良)、その連載企画は成功に終わったのだが、6人はその連載後の今でもずっと走り続けている。

 で、その中の一人、キョーミが昨日のゴール地点に現れ、ボクの好物を差し入れてくれたのだった。さらには彼女の母校の寄付金などによって建てられた宿舎を用意してくれ、夕食には温かい鍋を作ってもてなしてくれた。

 で、もちろん今日は一緒にラン。彼女は今現在、宝塚に住んでいるが、ご実家が昨日のゴール地点である生駒に近く、ご実家のお父様まで動員して道案内をしてくれたのだった。 

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 生駒から阪奈道路脇の道を一気に260メートルを下り降りると、外環状線に出て、そこから走りやすい広い歩道を西へ西へとひたすら走る。途中、蒲生のあたりで消防署に勤めるランナーが飛び入り、4人で走っていたら、すぐにまた別のランナーが現れる。普段は裸足ランで走っているが、今日はワラーチで参加だとか。すぐに「これ、我々の「裸足ラン」のメンバーから募った支援金です!」と封筒を。

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 はいしっかり明日「BERT」に手渡しておきます。

 久しぶりに市街地を走ると、食欲を刺激するいろいろな香りが漂ってくる。特にカレーの匂いに刺激され、今日のランチはミンナでカレーライス。まさか町の真ん中でバーナー使って自炊できないしなあ。

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 自炊するとそれだけ時間が取られるが、今日はカレーランチだったので、ゴール地点の尼崎「今福公園」には13時前に到着。到着した途端に雨が降ってきたが、今日も気持ちよく24キロを走り終えた。

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 明日はいよいよゴール。正直に言って、もう終わってしまうのか・・・と些か残念な気分なのである。

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 今朝の奈良は冷え込みが強い。昨日のゴールである「中ノ川球技場」には予想通り誰もいなくて、久しぶりにカホと二人のラン。

 奈良市内の古風な町並みを抜けると、秋の気配を感じさせる美しいすすきが風に揺れていた。

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 「菖蒲池」「学園前」など、近鉄奈良線沿線の町並みは美しい家々が多く、走っていても気持ちがいい。

 今日のコースは約24キロだった。いつもなら15キロ過ぎ辺りでランチ休憩を入れるが、今回はカホと二人だったので、ゴール地点の「生駒霊園」でランチを食べることにした。

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 そしたらそのゴール地点に友人が現れ(その友人の詳細については明日のブログで詳しく触れようと思う)、ボクの好物を沢山差し入れてくれた。


  ところで今回のコースを設定する上で、伊勢を外せないことはすでに報告したが、今回、もう一箇所外せない場所があった。それは我が母が眠る墓である。奈良と大阪の県境に「生駒山」という山があるが、その近くの霊園に我が母の墓がある。そこには姉も叔母も、他にも多くの親戚の墓がある。

 今回のプロジェクトを発案した時、ゴール地である神戸までのルートを設定する上で、想い出の地「伊勢」と、この「生駒」の二箇所はぜったいに外せなかった。

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 自分の肉体を形成し、自分の精神の礎となるモノを育んでくれた母と姉、それと叔母には、このプロジェクトを成し得る可能性を与えてくれたことに、深く感謝したかったのだ。

 さて残すはあと2日。距離は僅か50キロ。ゴールは明確に、且つ容易にイメージできるし、体力や気力も十分に漲っている。これまで一緒に走ってくれた友人や、食事や差し入れをしてくれた友人、それにこのプロジェクトの広報を陰で支えてくれる友人たちからもパワーをもらい、スタート時より逆にチカラが湧き上がるような気がする。

 感じるか我がワラーチよ! 神戸の地は近いぞ!





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 昨年のちょうど今頃、ボクはワラーチを履いて初めてフルマラソンを走った。で、今年の4月、カホはワラーチで「富士五湖チャレンジ」72キロを走った。

 その様子をブログで見て、さらにはボクのワラーチ作りのブログを徹底研究して、密かに自分でワラーチを作り上げ、6月にサロマ湖100キロをワラーチで完走した女性がいた。

 それが今日、一緒に走った通称「アンジェラ・ユカ」さん。

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 このプロジェクトが始まってすぐに、ケイを通じて11月13日は一緒に走ります! というメッセージを貰っていた。今年の9月に開催された朝霧のトレイルランのレースで、ケイとアンジェラさんが知り合いになり、二人はそれ以来、連絡を取り合っていたのだ。そして有難いことに、このプロジェクト直前には壮行会を開催してくれ(残念ながら東京で開催したのでボクは行けなかったが)、集まったミンナでTシャツに寄せ書きをしてくれたのだった。

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 それにしても東京から夜行バスに乗り、近くの駅からレンタカーで応援に駆け付けてくれるということは、昨日の弘樹やカズーと同様に、ホントに嬉しいことである。

 アンジェラさんの仲間のシロクマさん(みんなすごい呼び名だね)、それに二人の仲間で、大和郡山市に住む友人も加わって、今日も賑やかなラン。が、R163は奈良の笠置市に入った途端に歩道がまったくなくなり、大型トラックの往来も激しくなるばかり。ホンキで身の危険を感じ、11キロ過ぎ、ちょうど笠置役場の前から急遽コース変更。

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 笠置大橋を渡り、奈良東大寺へと抜けるR33を走った。だが、かなり距離が伸びることを心配したケイが、さらに新たにルートを設定。きつい登りの山道を走ることになったが、結局は24キロをみんなで無事に走った。

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 当初より4キロほど距離は伸びたし、たしかに山道の登りはハードだったが、それでもミンナで楽しく話しながら走れることができ、今日も楽しいワラーチランとなったのだった。





 

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 昨日、土砂降りの雨の中、伊賀市の阿波郵便局にゴールした我々は、スタート地点の津市内に戻りそこで夕食を食べようとしたら電話が鳴った。

 「今、津に到着したんですが・・・」

 電話の主はなんとカズー(山下晃和)。昨日の朝、カズーの友人がスタートを見送ってくれたが、なんと本人がその日の夕方に現れた。

 で、今朝は津市からカズーも一緒に阿波郵便局に向かう。阿波郵便局に到着すると、地元の情報をあれこれ流していただいた、伊賀の市職員の方が待っていて、今日、午前中は一緒に走っていただけるということに。お土産にコロッケを頂いた。

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 そして阿波郵便局で走る準備をしていたら、汗だくになった石川弘樹が登場。弘樹からも昨日中に電話があり、ここで待ち合わせをしていたのだが、さすがにトレイルランナーのキング。なんとゴール地点に近い伊賀上野から走って来たのだ。

 さらには途中で、バギーカーに荷物を積んでアメリカやオーストラリアを横断しているアドベンチャー・ランナーである高繁勝彦氏が、忍者スタイルで現れた。

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            伊賀上野城の城門で猛者に囲まれて

 石川弘樹のことをここで説明する必要はないだろう。その石川弘樹に加え、昨年、南米を自転車で縦断したカズー、世界中を走り回っている高繁勝彦氏が加わり、今日は伊賀の山奥でなんとも豪華キャスト・ランである。

おそらく今回のプロジェクトじゃなければ実現しないこの顔合わせ。

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        大の犬好きの石川弘樹に、ランチタイムに遊んで貰うスパーキー

 と言うことで、昨日は豪雨の中、カホと二人きりで無言で走り続けたが、今日は雨上がりの気持ちのいい伊賀街道を、三人の猛者に囲まれて気持よく25キロ走り終えたのだった。

 ミンナ! 本当に遠くまで、あれこれ工夫して一緒に走ってくれて有難う! 今日もミンナからのパワー、しっかりと受け止めました!

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        カズーがどうしてもやりたかった日数カウントポーズ

 さて今日でスタートから352キロ。残りあと4日で90キロ。

 いよいよゴールが見えて来たか!

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 昨夜、宿泊した海浜公園の駐車場は、眠りに就く時は静かだったのに深夜に若者が騒ぎ、今朝はかなりの寝不足。オマケにどんよりとした曇り空で、今にも降り出しそうな気配。

 スタート地点に向かい始めた途端にフロントガラスにポツポツとしだすし、もうモチベーションは下がるばかりだったが、スタート地点に到着してそのどんよりととした気分が吹き飛んだ。

 先に到着していたクルマの中から「私、山下君の友人です!」と元気な声で降り立つ男性。

 「山下君って・・・カズー? ですか」

 「そうです! 自転車仲間です」

 カズーと言えば、今をときめくアウトドア界のスター。アウトドア関連の表紙モデルとして活躍しまくっている。このプロジェクト初日、西湖の湖畔で我々を見送ってくれたが、まさかその友人が津に現れるとは。オマケにFJクルーザーの黄色のミニカーと羊羹を差し入れてくれ「FJのミニカーは、応援に来た子どもにでもあげて下さい!」と。

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 そしたらもう一台のクルマから別の男性が現れて「津市役所(当初の予定地)で待っていたのですが、急遽、こちらだと知って・・・」

 「どちらから?」と訊ねると「桑名からです」と言って「なが餅」を頂いた。

 カズーの友人曰く「桑名はごっつい遠いし、なが餅はごっつい美味しい」とか。

 いやいや・・・ホントに有難いことです。

 思いがけない声援に送られて雨の中をスタート。

 今日のコースは、今回のプロジェクトのもっとも難所。道幅も狭く、歩道のない道が続く。

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 途中、ケイが停めたクルマの前に、別のクルマが停まり、そこから小さな袋を抱えた男性が現れる。

 「以前、トウキチさんのカヌー・ツアーに参加した者ですが・・・津市役所で待っていたのですが・・・」

 彼のことは覚えている。以前、西湖でカヌー・ツアーを開催した時、遠く岐阜から友人と二人で参加してくれたのだった。

 「岐阜からわざわざここまで来てくれたのですか?」と恐縮していると「でも高速で1時間半ほどでした」と笑いながら「もう食べたでしょうけど、味噌煮込みウドンです」

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 確かに今日のコースは難所だ。それに気温12度の中、激しい雨に打たれながら走るのは辛い。だがミンナのこのような暖かい気持ちが、我々の背中を力強く押し続けてくれる。それはどんな困難も乗り越えられそうな熱いチカラだ。

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 スタートからゴールまで、一度も雨が止むことはなかったが、こうして今日も27キロの道のりを走り終えた。

 予報だと明日も雨。が、明日は強力な助っ人が現るハズ!

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「ワラーチ・プロジェクト」12日目

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        「大淀ムーンビーチ・キャンプ場」前の海岸で朝陽を眺める 

 昨日、「大淀郵便局」に到着して我々はさっそく宿探しを始めた。ナビにキャンプ場を入れると、僅か1キロほどの距離に「大淀ムーンビーチ・キャンプ場」が出てきた。

 海岸線の入り組んだ細かい道を走ると、静かなキャンプ場にたどり着く。管理棟で「今夜、宿泊できますか?」と訊ね、我々のプロジェクトのことを話した。すると「じゃあ私も協力しましょう!」と言って、格安の宿泊費で泊めていただくことに。

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 で、さっそくテントサイトを見つけて野営の準備を始めたら、管理人さんがやってきて「からだも相当疲れているでしょう。もし良ければコテージを使って、ゆっくりとからだを休めて下さい」

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 まったく初対面でつい5分ほど前に、いきなりキャンプ場に現れた我々に対して、なんという優しい心遣い。またまたここでも人情の温かさに触れる。今回のプロジェクトが始まって以来、どれだけの優しさに触れてきたことか・・・。ホントに自分は幸せ者である。

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 実は今回、我々は宿泊、食事その他、かなり倹約して過ごしている。泊りは昨夜以外はすべて野営だし、食事も極力、自炊している。なぜなら多額の浪費を重ねて走り続けたら、なんの為のチャリティか分からないからだ。もちろん今回の支援金のすべては「BERT」を通じて被災地へと寄付されるし、今回の我々の経費はすべて自分の持ち出しだ。

 だからこそ、行く先々でのみんなの心遣いが、身に沁みて有難いのである。そのサポートは我々のプロジェクトを支え、間接的にではあるが、確実に被災地への支援と繋がって行くのだ。

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 さて今日からケイに代わってカホが一緒に走り、ケイはドライバー担当。

 今日、目指すのは27キロ先の津市。昨日と同様に交通量の激しい23号線のバイパス沿いの側道を走る。海岸線に沿って北上するルートなので、昨日と同じく強風に悩まされる。

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 約17キロ地点で今日もインスタント・ラーメンのランチを摂って再び走り始める。

 途中、「アンビット」のボタンを押し忘れ、距離が正確には計測できなかったが、13時半に目的地へゴール。結果的には26,8キロのランだった。

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 で、今はコインランドリーで3日分の洗濯をしながらこのブログを書いている。この後、やはり3日ぶりで地元の銭湯へ。

 明日は予報通り、雨なのかなあ・・・。





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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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