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これも家族の成長の証

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 先日、神戸のIKEAで洗面台セットを購入した。

 河口湖に越して来て17年、これまで使っていた洗面台が随分とくたびれてきたし、些か使い辛かった。で、年末に家を新築した友人宅を訪問した際に、あれこれ刺激され、新しい洗面台に交換することにしたのだ。

 これまでの洗面台が使い辛かった大きな理由は、その高さである。

 河口湖に越して来た頃は、子どもたちがまだ幼かった。で、歯を磨いたり、顔を洗ったりする上で、高い洗面台では子どもたちには使い辛い。で、その高さを70センチ足らずにした。

 だが今では3人の子どもたちも巣立ち、背の高い我々夫婦にとっては不便さだけが残る。それに先程も言ったように、友人宅で新しい調度品に刺激された。

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 しかし洗面台を変える上で大きな問題もあった。先ほども言ったように、子どもたちのことを考慮して作った洗面台なので、家の一部として作り付けてある。それを撤去するのが一苦労だ。しかもオリジナルなので、IKEAで売られているどの洗面台もサイズが合わない。

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 我が家の洗面台の幅は107センチだが、結局は80センチ幅の洗面台を購入して、余った部分は自分でオリジナルの台を作った。

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 ニューイヤー・セールで洗面台、洗面ボウル、混合水栓、排水管など、すべて合わせて29000円ほど。それと余った幅の部分に作った台が6000円ほど。すべて合わせて35000円でリニューアル出来たのだ。

 子どもたちの為に高さを合わせて作った洗面台をリニューアルするのは、些かの寂しさも感じるが、家は家族と共に成長するもの。

 これもひとつの家族の成長の証なのである。






もしも世界が100人の村だったら

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 この写真は友人がフェイスブックに投稿したモノで、2日の朝、小田原市小八幡三の海岸で発見されたザトウクジラの子どもの死骸である。

 数年前にも同様にクジラが海岸に打ち上げられ、ニュースになったことがあるが、もちろん今回のクジラを含め、それを「食べた」という報告は聞かない。

 分かっている。

 このようなことを発言すると「不謹慎」だとの誹りを受けることは。

 だがよく考えて欲しい。

 この地球上には70億人以上もの人々が暮らしているが、飽食と叫ばれ、食べるモノが余っているのはその約1割にしか過ぎない。つまり63億人もの人々が日々の食べ物に困っているのだ。そしてその約半数にあたる30億人の人々の一日の生活費は、1ドル以下だと言われている。

 「もしも世界が100人の村だったら」という本に次のようなくだりがある。


「6人が全世界の富の59%を所有し、

その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み

70人は文字が読めません

50人は栄養失調に苦しみ」


 これを見ても分かるように、世界の人々の半数は栄養失調に苦しんでいる。

 さらに次のように続く。


「もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら...

あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています」


 これがまさに我々の世界の「現実」である。

 しかし我々の情報のほとんどは、アメリカを含む先進国からしか入ってこないので、そのスタンスは全世界の一割の立場に偏り、その結果、動物として生きる本来の姿が見えなくなってしまっている。

 本当にクジラやイルカを食料とすることは残酷なことなのか?

 本当の意味でのエコロジーとはなんなのか?

 本当の意味でのボランティアとはなんなのか?

 今年はそういうことを深く、深く考えたいと思う。もう偏った情報から成り立つ、エコロジーや欺瞞に満ちた優しさは必要ではない。

 時にそれは非情と映るかもしれないが、それを恐れずに発言したいと思う。

 それがいつかは本当に優しさに繋がるから。







太陽の復活祭

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 今日は冬至。

 一年でもっとも日照時間の短い日である。

 日本では二十四節季の一つである「冬至」は、毎年、十二月二十日前後に訪れるが、その日は柚子湯に浸かったり、カボチャを食すと風邪を引かないと言われている。だが、科学的根拠として「北半球では太陽の南中高度がもっとも低い日」なので、世界的にこの日が「太陽の復活祭」と位置付けされている。

 つまりこの日を境に太陽が新しく生まれ変わり、また少しずつではあるが日照時間を伸ばし、あらたにその力を復活させるのである。

 実はクリスマスの起源も元をたどれば「冬至祭(ユール)」で、4世紀の頃、12月25日を「太陽が甦る日」と重視するローマ帝国では、広く普及していた太陽信仰のミトラス教と、当初迫害されていたが勢力を広げ続けるキリスト教の二大勢力があり、ミトラス教でも「征服されることなき太陽の誕生日」として12月25日が最も重要な祭日とされた。

 昨年、シアトルに住む占星術師の知人から、この「太陽の復活祭」の意味合いを教えられ、昨年よりクリスマスを「大きな顔をして」祝えるようになった。

 と言うのも、クリスチャンでもないのにクリスマスを待ち望む自分に、些かの疑問も抱いていたからである。だが「太陽の復活」を待ち望むことは、北半球に暮らすすべての人々に共通することであり、しかも寒冷地に暮らす者にとっては、その意味することは重大である。

 と言うことで、異教徒にとってもクリスマス、いや、「太陽の復活祭」は、暮らしに根ざした祭事ということになるのである。






塵も積もれば山となる

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 ここに一枚の写真がある。

 撮影したのは28年ほど前、ボクがまだ24歳か25歳の頃である。

 撮影してくれたのは与儀達二氏で、「朝日広告賞」など、数々の賞を受賞した巨匠で、当時、銀座松屋の広告撮影の仕事でよくモデルとして使っていただいた。

 その特殊な撮影スタイル、そして素晴らしい仕上がりに感服したボクは、自分の資料用写真の為に与儀氏にお願いして、氏のスタジオで撮影したのがこの写真である。

 撮影中、音楽や絵画、読書や料理の話をしてくれ、合間にはフルートの演奏までしてくれた。撮影後には夕食までご馳走になり、与儀氏の多才ぶりと、そのホスピタリティの素晴らしさに、ますます敬服した記憶が鮮明に残っている。

 その時、小学生だった与儀氏のご長男と、フェイスブックを通じて「友達」になった。今ではお父様と同様にカメラマンとして活躍されている様子である。

 で、この秋から本格的にモデルとして活動する為に上京した次男に、与儀氏のご長男と会ってみることを勧めた。ボク自身が彼が小学生の時にしか会っていないのに、随分と無責任な話かもしれないが、それでも与儀氏(息子さんの方)は次男と会うことを快諾してくれた。

 で、会って、二人は大いに意気投合したらしく(おそらく与儀氏が次男のレベルに合わせてくれていると思うのだが)、数日前に次男から連絡があり、「今度、二人で河口湖に遊びに行くよ!」と興奮した様子で電話が掛かってきた。

 モデルをしている頃から、周囲から(所属モデルクラブの社長も含め)浮世の塵みたいな職業と言われていた。いくら売れっ子になっても儚い夢だと。少しでも早く現実を見つめ、きちんと将来のことを考えろ、とも言われた。

 確かに不安定な職業で、年老いていつまでも続けられる仕事ではない。自分自身のこれまでを振り返っても、決して順風満帆ではなかった。

 だがそれでも多くの素晴らしい人に出会い、いつも誰かが助け舟やチャンスを出してくれて、次の波に上手く乗れた。時には波間でもがくこともあったが、いつのまにか優しいうねりがやってきて、また再び波に乗っていた。

 遠い、遠い祖先が自分を見守ってくれるのか、あるいはまだ会ったこともない誰かが、いつも自分を応援してくれるのか、それとも仕事で出会った人たちが、また他の仕事を与えてくれるのか。

 いずれにしても、直接的、間接的に、多くの人々の世話になりながら、今の自分が存在する。

 そして「浮世の塵のような仕事」に携わってきた割には、親子二世代に亘ってお付き合いいただける人がいる。

 確かに儚い職業かもしれない。が、どんな職業に就いても人との触れあいに違いはないのだ。

 それをひとつひとつ大切にしていけば、塵も煌めく瞬間があるのだ。







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3時間33分42秒

平均心拍数 136

5キロ  24分17秒

10キロ 23分34秒    47分52秒

15キロ 24分27秒    1時間12分20秒

20キロ 24分19秒    1時間13分40秒

ハーフ           1時間41分59秒

25キロ 24分55秒    2時間01分35秒

30キロ 25分50秒    2時間27分26秒

35キロ 26分51秒    2時間54分17秒

40キロ 27分36秒    3時間21分53秒

42,195キロ 11分48秒    3時間33分42秒


 これが今年度の「日刊スポーツ 河口湖マラソン」の結果である。

 河口湖に来てから16年、ほとんど毎年、このレースには参加している。が、ある時は友人の伴走などもしているので、自分自身のタイムの為に走るのは4年ぶりのことである。

 しかも今年はワラーチ。練習時に30キロほどを3回走ったが、それ以上の距離は初めて。ワラーチを履いて走ると、否が応でもフォアフット着地となり、結果的にはフクラハギの筋肉がすごい勢いで鍛えられる。つまりこの部分に筋肉痛が集中する。今年の春に靴からこのサンダルに代えた時も、少しの距離を走るだけなのに、フクラハギの筋肉痛の激しさに驚かされた。

 しかし逆の言い方をすればフクラハギだけに負担が掛かり、それ以外の筋肉、心肺機能にはあまり影響を及ぼさない。

 上記、5キロごとのラップタイムと平均心拍数をご覧いただきたい。

 さすがに35キロからは少しラップタイムが落ちているが、それまでは当初の目標通り、きちんと1キロあたり5分を切るタイムで走っている。で、平均心拍数が136。これはボクが他の人と話しながら走ることができる心拍数で、つまりかなり楽に走っているということである。

 3時間33分というタイムは、ボクのこれまでの歴代マラソンタイムの3位の記録で、3時間24分が最高で、その次は3時間27分。しかしその2つのマラソンでは、平均心拍数は160前後、それに30キロを過ぎてからかなり苦しいレースとなった。オマケにレース後のダメージも酷かった。

 それらと比較すれば、今回はレース中もレース後も楽である。

 課題はフクラハギの筋肉痛。これがなければきっと、35キロを過ぎてもキロ5分を刻めたはずだ。その検証は来年の河口湖マラソンに譲りたいが、今年のレースでの検証結果を見れば、ワラーチ効果の素晴らしさを再確認しているのである。





あなたはロマンチストですか

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  時々、自分自身に問いかけることがある。

 「自分はロマンチックかそうでないか?」

 いきなりどうしたんだ? と言われそうだが、理由はこうだ。

 最近、フェイスブックを通じて自分の子どもたちが、クリスマスをそれぞれのパートナーとディズニーランドで過ごす計画があることを知った。我が家の子どもたちはディズニーランドがとても好きで、幼いころから妻がよく連れて行ったが、成人してからもパートナーとよく行っているようだ。

 ボクはどちらかと言えば、あまりそのような場所で過ごすのは苦手だ。特にクリスマスなどは。

 なぜか?

 そこにいる自分を想像するだけで照れてしまう。元来、照れ屋である。(いや、ホント)オマケに根は大阪人だ。大阪人たるもの、ロマンチックな雰囲気に包まれて、そのままどこにも落ちない話は我慢できない。どこかでその雰囲気の自分に対して、なんらかの「ツッコミ」を入れなければならないと感じている自分がいる。

 それでは大阪人にロマンチックな人間は居ないのか?

 そういうことはないと思う。


 話は変わる。

 次男が中学生だった頃、英語の教師をしていたブルガリア人の友人がいる。その彼はとてもロマンチックで、美味しい料理を作り、ワインのウンチクを述べ、詩を語った。だが彼のロマンチックの本質は次のような意見の中にあった。

 「ロマンチックとはなにか? もちろん女性を優雅なレストランに誘い、美しい花束を贈ることはロマンチックだろう。だが朝早くに嫌がる彼女を叩き起して、朝焼けの瞬間を眺め、その後、早朝から皆が働いている市場に出かけ、新鮮なモノをそこで手に入れ、それでクッキングして一緒に食べる方が遥かにロマンチックだと思う」

 たしかにこのアイデアなら大阪人も納得できる。

 もう少し言わせて貰いたい。

 誰かが「これはすごくロマンチックな空間だ」と思って演出する世界に安易に足を踏み入れ、「とてもロマンチックだろ」と悦に浸っている自分が許せない。もっと言わせて貰えれば、ロマンチックは偶然の産物であるべきだ。

 早朝に走りに出る。

 朝から心肺機能を酷使して、心臓が口から飛び出しそうになるのを堪えながら走る。が、その瞬間、太陽が地平線から顔を出し、世の中を希望の輝きで包み込む。もちろんこれは確約されることではない。雨の早朝もあれば、灰色に包まれた朝もある。

 あるいは一日の厳しい労働を終える頃、ふと見上げると夕陽が街を優しく暖色に染める瞬間、または寒さに震えて家路を急ぐ時に、見上げると満天の星が輝いている...そういう瞬間を共有する時に限りなくロマンチックな気分になる。

 つまり誰かが考案した、最大公約数で確約されたロマンチックな空間には興味がないのだ。しかもボクがロマンチックと感じる瞬間は、相対的な状況の中でこそ輝きを見せるので、その前後はいろいろな意味で厳しい状況が好ましい。

 なんてことを言うと「あなたにはついて行けません」とすぐに言われてしまうが、これこそがボクの追い求めるモーメントである。

 やっぱり自分はロマンチックではないのか...





愛犬は人工的な動物ですか?

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 最近、NHKの提供する「NHKオンデマンド」を利用している。

 NHKで放送された番組を、後からネットを通じて視聴できるというシステムで、見逃した番組などを後からPCで視聴できる。

 日常の中でテレビを観る習慣がほとんどなく、自宅にいる時に朝のニュース番組を観るくらいである。で、その続きで15分間、朝ドラも観るが、それも仕事などの都合で観たり観なかったり。で、しばらく観ないと物語の展開が見えなくなり、やがて観なくなる。そういう意味では便利なシステムだ。

 最近、そのNHKオンデマンドで観た番組で、とても興味深い内容のモノがあった。

 「地球ドラマチック」という番組の特集で「イヌはこうして進化した~オオカミから医療介助犬まで」

 一般的にイヌはオオカミから自然に進化したように思われているが、この番組では様々な角度からそれを検証して、人間が作為的にイヌを創り上げたという説を展開している。

 つまりオオカミの中でも比較的に温和で、人間に対して威嚇しないオオカミばかりを集め、さらにはその中でもより従順な種を何度も掛けあわせ、最終的に人間に対して、限りなく忠実なる犬種を生み出したと検証している。

 イヌは生後2年くらいで十分に繁殖能力を持つので、わずか10年ほどで品種改良を行うことが可能だ。こうして気温や地域に対応して、なおかつ狩猟や牧畜などに適するイヌを創り上げて来た。

 しかしそれでも、19世紀まではイヌの持つ特質を生かした進化を、人間が作為的に行なってきたが、19世紀に入ると、それはイヌという種にとって悲劇的なモノに変化していく。

 古代中国では気位の高いモノにとって、獅子を飼い慣らすことがその地位の証明とされた。もちろん中国には獅子など存在しないので、イヌを品種改良することによって、外見が獅子に限りなく近く、尚且つ、飼い慣らし易いイヌを創ろうとした。その結果、出来上がったのが「ペキニーズ」というイヌである。

 英国が中国に攻め入り、王族が愛したペキニーズを本国に持ち帰って、自国の女王にそれを差し出した。

 19世紀当時のイギリスでは産業革命に依って潤っており、世の中に中産階級と呼ばれる富裕層が増えつつあった。彼らは女王のスタイルを真似る傾向にあったので、あっという間にその奇異なスタイルのイヌが流行となった。小さく、そのスタイルが奇異なほど、中産階級の富裕層の人々にとって、それは裕福の証となって行ったのだ。  

 イヌの種としての悲劇はまだまだ続く。

 こういう犬種が流行りだすと、人はもっと違った、もっと奇異なスタイルの犬種を求めるようになる。その結果、ブルドックのように自分では子孫繁栄のできない犬種まで生み出してしまう。

 ブルドックは頭部が異常に大きく、そのまま胸部も発達している、が、異常なまでに腰がくびれているのだ。その結果、産道を通っての出産が不可能になり、帝王切開によってしか出産ができない。

 オオカミとして一つの源であったイヌは、今現在では400種を超える数となり、その多くは人間によって都合良く作られた犬種である。

 以前、ラブラドールとアイリッシュの純血種を飼っていたことがあったが、そのどちらもが短命であった。もう二度とイヌを飼うまいと決めていたが、3年前からゴールデン系の雑種を飼うことにした。

 その際に知り合いの警察犬学校の先生に「どんな犬種がもっとも強いですか?」と質問したら「雑種が一番強い。人間が勝手に創りだした純血種は、どこかに欠点を持っているものだ」との答えが帰ってきたが、この番組を見ればそれも頷ける。

 誤解しないで頂きたいのは、純血種を飼うことが悪いということではない。イヌにはそれぞれ改良を重ねて来た歴史の中で、DNAとしての特性があり、それを無視して見た目だけで飼うことは、イヌにとっても人間にとっても好ましくない、ということである。

 それにしても恐ろしく感じるのは、その動物の性質を知り、それを人工的に掛けあわせて行けば、思い通りの性格の種が創り出せるという事実である。

 非現実的な発想ではあるが、もしもこれを人間に適応すれば...あゝ、想像するだけでも恐ろしいのである。





一億総メッセンジャー

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今ではすべての人々が、世界に向けて自分自身のメッセージを発信することが可能になった。

ブログ、ツイッター、ユーチューブなど、文字や画像、映像を駆使して簡単に発信でき、その内容が画期的なら、良い意味でも悪い意味でも、一晩で有名人になることが可能だ。


20歳の時に上京して本格的にモデルの仕事を始めた。雑誌やテレビCMに出演する機会にも恵まれたが、自分自身が発するメッセージではない。第三者が「これを着てくれ、あれを言ってくれ」というメッセージである。

で、22歳の時にレギュラー出演していた雑誌「ポパイ」の編集者にお願いして、料理ページの連載を持たせてもらった。18歳の頃から一人暮らしを続けており、料理は得意。同年代の若い人たちに向けて、自分の得意料理を披露したかったのだ。

連載当時はモデルの仕事と相反する活動ではないか、との意見もあったが、それもいつの間にか受け入れられ、24歳の時にはテレビ番組でも料理を披露するようになった。

狭いアパートのキッチンを飛び出して、青空の下で料理をするようになった頃、ちょうどアウトドア・ブームが訪れ、いつのまにか本業のモデルより、そちらの分野の仕事依頼が増え、今ではどっぷりとその世界に浸かっている。


35歳の時に首都圏から河口湖の湖畔に移り住んだ。ちょうどそのタイミングで、それまで使っていたワープロからPCに乗り換えた。文章を書くだけならワープロで十分だし、むしろそちらの方が都合が良かったが、その書いた文章を誰かに「送る」となると、PCが圧倒的に便利である。ワープロの場合は書いた文章を一旦、プリントアウトしてから、それをファックスで送るが、PCの場合はメール添付でワンタッチである。やがて高速インターネット時代に入り、文章だけではなく、画像や映像を送信できるようになった。

で、10年ほど前から自分のホームページを持つようになった。が、最初は専門家にデザインしてもらい、その更新も任せていた。

6年前からこのブログを始めた。やはり最初はプロにデザインしてもらってスタートしたが、途中からデザインから更新まですべて自分でするようになった。

去年の6月からツイッターを始め、今年の春からフェイスブックも始めた。自分のホームページを作った10年前から月一回、メールマガジンも発信している。もちろん今でもテレビやラジオ、それに雑誌などにも出演しているので、そこでも様々なメッセージを発する。

こうなると、どこでなんのメッセージを発するのか、きちんと整理しなければ自分自身でも混乱する。日常の中で一枚の写真を撮る時でも、「この写真はツイッターなのかフェイスブックなのか、あるいはブログなのか、それともテレビ番組等で使うストックなのか?」と頭を悩ませる。


月一回のメルマガは1500人ほどの人に発信しており、ツイッターのフォロワーは600人近く。このブログはどれほどの人が読んでいるのか正確には把握していないが、最近ではフェイスブックの「友人」も増えている。


人と会って話をすると「あー、それブログに書いてましたね」とか「ツイッターで呟いていたね」と言われる場合もあるし、目を丸くして「今、そんなことに夢中になっているのですか!」と驚かれることもある。


日々の様子や出来事をこのブログに綴っていたが、今ではそれもツイッターやフェイスブックで報告することの方が多くなった。だがボク個人としては、このブログを大切にしていきたいと思う。ツイッターやフェイスブックでは出来ないメッセージを、あるいは届かないメッセージを発信することが出来ると思ってる。しかしきちんと「住み分け」をしなくてはならない。

タイムリーな話題や新鮮な写真は、ツイッターやフェイスブックを活用するかもしれないが、きちんと後々まで残るメッセージは、このブログで発信したいと思う。

そのような根拠から、このブログはこれまでと違ったスタイルを持つかもしれない。

当分の間は試行錯誤が続くだろう。それに対して、なんらかの意見をコメントとしていただけると嬉しい。


今では誰もが世界に向けて発信ができる。だがきちんとしたツールを使って、そのツールに見合った内容で、誰に向かって言葉を発しているのか?れをしっかりと把握しなければ、単なる無責任な情報の垂れ流しとなってしまう。

そのことを今一度、しっかりと確認したいと思う。





無責任だが編集に期待しよう!

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 義父が長野の豊科で映像制作会社を経営している。

 で、そこの会社の依頼で東京ガス関連のビデオに出演することになった。東京ガスでは横浜の鶴見区で「環境エネルギー館」というのを運営しているが、そこで流すイメージビデオにカメオ出演したのだ。

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 小学生の子どもの目を通じて自然の美しさを再確認するというような内容で、一応は親子という設定だ。(随分と老けた父親だが)

 撮影当日は山小屋に宿泊して夜中の3時に起床。ご来光を眺めて、そして山から降りてきてキャンプ場で焚き火をする、というような内容である。

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 撮影当日は早朝に起きた甲斐あって、ご覧のような美しいご来光も雲海も見られたが、正直に言って、その瞬間にはカメラが回っていなかった。撮影の段取りが悪いのか、それともスタッフが不慣れなのか、もしくはボクの知りえないなんらかの事情なのか、なにしろ朝焼けも、ご来光も、雲海も、その時には撮影が出来ていなかった。

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 撮影依頼の際には焚き火シーンの小物準備、その整合性だけを確認して欲しいとの依頼しか来ていなかったので、そのあたりの詳しい事情は分からないが、後ほど実景撮影(人物なしで景色のみを撮影すること)で、そのあたりの映像を撮影して、上手く編集するのかもしれない。

 いずれにしてもいい仕上がりになることを祈っている。なにしろ・・・それを今後10年間も、その「環境エネルギー館」で流すらしいので。

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己の試金山

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 最初に登ったのは7年前だった。

 北アルプスの南端に蝶ヶ岳という山があり、まずはその蝶ヶ岳に三俣というところから登る。蝶ヶ岳登頂後は北に向かって縦走して常念岳に到着。そして常念岳から下山して、元の三俣に戻る。ちょうど地図上では三角形を描くようなルートで、昭文社の山地図によると所要時間は22時間。だがこの山地図は小屋泊まり程度の荷物を背負っているとの前提の所要時間であり、我々が軽い荷物を背負って山を歩いて(あるいは走って)いる時には、いつも約半分の時間で十分だ。

 だから最初に登った時も10時間あれば行って帰ってこられると判断した。で、その判断通りに朝の6時に三俣に取り付き、同じ場所に下山したのが10時間後の午後4時。が、かなりハードな山行となった。

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 で、二回目は一昨年。あれこれ調べると最初に蝶ヶ岳に登るより、逆周り(地図上で反時計方向)に登った方が精神的にも楽だと聞き、二回目はその通りにした。だが結果的には所要時間は同じだった。

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 と言うことで、このルートは自分自身にとっては持久力の大凡の目安となっている。もちろんフルマラソンのタイムも体力の目安となる。しかしマラソンは日程が決まっているし、そのタイミングに合わせて体調を持って行くのが難しいし、多くの人々の間を縫って走るのも大変だ。が、このルートは思い立った時にいつでも行けるし、自分のペースを完全にキープできる。しかも天候さえ良ければ、こんなに素晴らしい景色に出会える。さらには4時間足らずで終わってしまうフルマラソンと比較して、10時間前後を移動し続けるのでより持久的な体力が求められる。

 先日、このルートを三度、登ろうとしたが、仕事、天候、その他、諸々の事情によって断念した。天候と言うのは、ご覧のように驚くほど晴れていたが、頂上付近や稜線は恐ろしいほどの強風で、歩いていても飛ばされそうになるほど。結局は 蝶ヶ岳、三俣のピストンだけにした。

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 まあそれでも北アルプスの風景を見ながら山を歩くのは気持ちいい。この日も雲は激しく流れていたが、孤高の槍ヶ岳の姿も拝むことができた。

 来年の秋に、3回目のチャレンジを今から狙っているのだ。

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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

    問い合わせ greatescape
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