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2012年4月アーカイブ

ワラーチで走ることの意味

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 一昨日、「チャレンジ富士五湖」に出場して72キロを走った。

 「チャレンジ富士五湖」に出場するのはこれで2回目で、今回は前回のリベンジである。

 なんの「リベンジ」か?

 前回もきちんと完走した。が、60キロを過ぎて足が攣ってしまい、残りの約12キロを歩いてしまった。体力も残っていたし、走る気力も萎えてはいなかったが、走りだそうとするとたちまち足が攣って倒れそうになる。で、ダマシダマシ歩いて完走したのだった。

 考えられる敗因はいくつかあった。

 まず第一に、前半のスピードが早すぎた。

 72キロの部は本栖湖が折り返し地点となっており、そこが約42キロ。そう、つまりそこまででフルマラソンを走ることになる。で、前回の折り返しまでの記録が4時間15分。このタイムは早すぎる。後半、保つわけがない。

 次に栄養補給。

 初めてフルマラソン以上の距離を走るのに、きちんとした栄養補給が出来ていなかった。特に塩分が足りていなかったと思う。

 前回の記録は9時間30分ほどだったが、今回は前回と同タイムでもいいから、最後まできちんと走り続けることが目標だった。もちろん敗因の2点を重点的に気を付けて走った。加えて、前回と大きく違う点は、昨年からワラーチで走っていることで、確実にランニングフォームが違う。その点も今回の検証したい点であったが、実は最近、ニューバランスの仕事をしており、その関係でワラーチではなく、ニューバランスの「ミニマス」というシューズを履いて走った。

 「ミニマス」は従来のランニングシューズの考えをまったく覆すシューズで、「裸足ラン」をコンセプトとしたソールの薄いシューズである。つまり履き心地がワラーチに限りなく近い。

 それと今回はもうひとつ実証したいことがあった。


1 特別なサプリメントを摂取しない

2 テーピングなどを施さない。


 ランニング界に於いて、いや、全ジャンルのスポーツに於いて、今ではサプリメント摂取は不可欠な要素である。プロテイン、エナジージェル、アミノ酸等々。かつては自分もそれらを知識の限り摂取した。しかしワラーチを履き始めて、それらの摂取に疑問を持ち始めた。詳しい理由は別の機会に譲ろう。

 だから今回、レース前、及び、レース中に摂取したのは、塩飴、練り梅、手作りエナジーバー、スポーツドリンクなど、なるべく普段から摂取しているものを補給した。

 テーピングに関しても、ワラーチを履き始めて考えが変わった。

 いろいろと考えはあるが、ひとことで言ってしまえば「テーピングを施すほど故障を抱えているのなら、走ることを休む」ということである。自分はプロのランナーではない。そこまでして走る必要はないのだ。

 で、結果から言えば、今回は72キロをすべて走りきった。タイムは9時間3分。本栖湖の折り返し地点のタイムは5時間ちょうどで、これもイメージ通りの走りである。今年は寒さが続き、長距離の練習不足の為、50キロを過ぎて些かペースは落ちたが、最後まで走り切れた。キロあたり7分を目標としたが、結果はエイドステーションでのロスタイムも含め、平均で7分30秒ほどで、これもイメージ通りである。

 そしてこれがなによりも肝心なのだが、レースが終わった今、足腰にほとんど痛みを感じずにいる。

 レース翌日も少し走ったし、二日目の今日は、これから山に登る。

 これこそがワラーチ効果である。

 と言うことで、前回の初チャレンジ以来、胸の奥でくすぶっていた小さなモヤモヤが、2年ぶりにすっきりと解消したのである。







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 美しい花が咲き乱れる華麗な庭、大きな石とコニファーが並んだ整然とした庭、ハーブが薫るプロバンス地方のような庭、きちんと手入れの行き届いた庭、放置された乱雑な庭、コンセプトの感じられない庭、どこからかのコピーだらけの庭、お金が掛かった庭、何時間でも眺めていたい庭、お金は掛かって居ないが真心のこもった庭、何度も訪れたい庭・・・様々な庭があるが、庭はそこに住まう人の個性を映し出す。

 招かれる友の庭もあれば、散歩やランの途中で見かける見ず知らずの人の庭もある。

 自分が気に入った庭を見つけ、そこにたまたま主が居れば「綺麗な庭ですね!」と声を掛けたくなる時もある。親しい友人の庭なら、軽い皮肉交じりのジョークを添えて、その庭の感想を言うこともあるだろう。

 感想を言われたり声を掛けられたり、いずれにしてもその言葉が深く熟考されたモノであれば、それなりの返答があって然りだと思うし、そうでなければ、微笑みと共に軽く頷くだけである。

 散歩の途中に足を止め、その庭に施された様々な工夫を見付け、我が庭の参考にしたいと感じる庭があっても、なにも言わず、心の中にそっと留めて静かに立ち去ることもある。あるいは友の庭を訪れ、助言を求められれば、真剣に頭を捻る。

 自分の庭を褒められたからと言って、わざわざ出かけて他の人の庭を褒め返すことなど不要だと思うし、それが時間的、精神的な重荷になるなら、尚の事、その必要性はないだろう。

 季節に応じてせっせと己の庭を手入れし、時々、静かに他の人の庭を参考にして、また再び、自分の庭を手入れする。そしてその庭の中に賞賛に値することを見付ければ、控えめに声を掛ける。

 Facebookのルールについてあれこれ言ってきたが、ソーシャル・ネットワーク・サービスって、そうやって使えば快適に続けられるんじゃないかな。





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 Facebookの「タイムライン」は、例えて言うならば「自分の家の庭」のようなモノである。と、前回、言った。決してリビングルームではなく、あくまでも庭だ。

 リビングルームはきちんと招待されないと内部の詳細が分からぬが、庭なら通りすがりの人も見ることが可能だ。

 だが庭は季節や経年によって変化するので手入れが大変。家の亭主はせっせと庭を手入れをして、そこに仲の良い客を招いてお茶をもてなす。呼ばれた客は相伴を伴ってその招きに応じ、その庭でひとときの寛ぎを味わう。

 呼ばれた客は「正客」と呼ばれ、それに伴う客は「相伴衆」と呼ばれる。古くから「ご相伴に与ります」と言うが、それはこの「正客」の「連れ」として「お裾分け」を頂くことから来ている。または亭主のサポートをする立場を「相伴」と言うこともある。いずれにしても「お茶」の世界の言葉である。

 で、そのお茶の世界でもっとも重要な言葉が、千利休の唱えた「和敬静寂」の心。

 和を敬い、静かな時を楽しむ。

 が、敬うのは結果としての「和」ではなく、亭主は客を敬い、客も亭主を敬う。相伴は双方を敬い、その場の互いの立場の尊重が、静寂なる「和」を生み出す。あるいは、美味しい「和え物」のように、ひとつのモノと、もうひとつのモノが交わる時に、交わったふたつ以上の味わいが、「和敬静寂」の「「和」の心だと説もある。

 いずれにしても、客も相伴も、謙虚な姿勢が求められるのである。そこで持論を繰り広げ、己の価値観を押し付けることなど言語道断と言えるのだ。

 ソーシャル・ネットワーク・サービスの急速な普及により、それを使う意識が混沌としている時代である。そんな中で、「友達」リクエストに一言、メッセージを添えるのも、小さいことながら、不可欠なマナーと言えるだろう。

 そして「友達」であろうが、フィード購読者であうが、「タイムラインという庭」を訪れる時には、その庭に対して「敬い」の気持ちを忘れてはならないのである。

 それが出来ないのであれば、人に迷惑を及ぼさない範囲で、自分の庭で騒々しい花火を勝手に上げれば良いのだ。





Facebook個人的ローカルルール 1

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 Facebookの「タイムライン」は、例えて言うならば「自分の家の庭」のようなモノである。

 その庭に花が咲いた、果樹がなった、害虫がいるから駆除した、鳥が巣を作った、雑草を抜いた、友人がお茶を飲んでいった...と言った日常の風景や自分の感想を紹介する。

 そしてその庭を訪れた友人たちが、それぞれに感想を言う。もちろんその感想はほとんどが肯定的な意見である。まさか面と向かって「この樹木は植えるべきではない」とか「この鉢は安物だ」とか、訪れた他人の庭で、それを指摘する人は少ないだろう。例えそうは思っても、あるいはホントにその意見が正論であっても、自分の家に帰ってから、眠る前に夫なり妻なりに、正直な感想を述べれば良いのだ。

 ところが時々、そういう自分の意見の正当性を、他人の庭で繰り広げる人がいる。しかもその意見は、明らかに主題から外れた、アゲアシを取るような意見である。

 例えばこういうことだ。

 ある人が庭に咲いたバラを自慢するとする。そのバラを育てる過程で、害虫の駆除の話をする。害虫駆除の他にも、バラは時には思い切った剪定も必要で、美しい一輪のバラを育てるためには、他の蕾を切ることもよくあることだ。

 そのように苦心して育てたバラを紹介して、多くの友人がその美しさを褒めている中で、ある人物がシタリ顔で、否定的な意見を言う。しかもバラの色や種類、それに美しさについてではなく、害虫駆除の是非などを訴える。または切り取られた蕾が可哀想だ、などと指摘する。

 繰り返すが、タイムラインは自分の庭みたいなモノである。

 時にはその庭を下着やパジャマで歩くこともあるだろうし、前夜に呑んだワインのボトルが転がっているかもしれない。だが多くの人は優しく微笑みながら、友の小さな失敗や失態をユーモアで笑い飛ばし、その中の明るい側面だけを見出そうとする。

 そういう思い遣りを基に「社交的なネットワークサービス」、つまりSNSが成り立っている。

 その「社交の場」に於いて、いきなり博識、博愛を訴える人が現れると、そこに居合わせたメンバーは誰しもが気まずい思いをすることに、その人物は気付いていない。そして厄介なのは、その指摘が一見、「愛と正義」に溢れているかのように聞こえることだ。要するにどこのクラスにも居た、KYの風紀員のような存在なのだが、風紀員という立場上、誰もが逆らえない...というような存在である。

 まあ百歩譲って、その人物の意見が正しいとしよう。が、さきほども言ったように、その意見は自分の庭か寝室で繰り広げればいいのだ。

 あるいは、Facebookには「メッセージ」という便利なシステムも付属する。それらを使って、友人に後からそっと優しく助言を施せばいいのである。そういう思い遣りがあってこそ、気持ちのいい「社交場」が成り立つのだ。

 歯の浮くような美辞麗句は必要ないが、少なくとも「その場の空気が読めないで、皆をしらけさせる」自分の考えの押し付けは、勘弁して欲しいのである。

 で、最後に本音を言わせて貰えれば、そういう人物に限って、こちらは自分の庭に招いた覚えはないんだよねえ...







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 これまでに3回に亘って「ダイエットとアンチエイジング」について考察してきたが、自分自身の体験を以って、このシリーズを総括したいと思う。

 モデルという職業柄、一定の体重、体型を求められるが、20代のモデル現役時代は、ずっと体重が72キロから75キロの間で定着していた。

 が、35歳の時に河口湖に越してきて、それまで日課としていたランなどのトレーニングもせず、毎日、ひたすら家造りをしていたら、どんどん知らない間に体重が増え続け、あっと言う間に90キロを超えていた。

 で、ある程度、家が完成した時点で、再び走り始め、7ヶ月で75キロまで体重を落とし、これまた再びフルマラソンを走るようになった。

 この7ヶ月で15キロの体重を落とした経験から、一日に70グラム、一ヶ月に2キロの減量が望ましいということを実証した。

 その後、トレーニング量が減る冬は体重増、増える夏は体重減を繰り返し、75キロと80キロを行ったり来たりしていたが、50歳を機に、大きく食生活を見直すことにした。

 まずは肉食を断った。

 野菜を中心とした食生活に変え、魚介類、乳製品は摂取したが、牛肉、豚肉、鶏肉は一切、口にしなかった。だがこの食生活がダイエットに結びついたという実感はない。

 ここ数年、大腸癌の発生率が増えつつあり、現在では女性の癌死亡率1位がこの大腸癌であり、男性でも4位に位置している。2020年には男女とも大腸癌の死亡率が1位になると言われており、その原因は言うまでもなく、肉などの高脂肪食品の大量摂取である。逆に食物繊維を摂らなくなったことがそれに拍車を掛けている。肉食を断ったのは、このことが大きな理由で、これはダイエットではなく、アンチエイジングの方に作用していると思われる。肉食を断ったことにより、睡眠の質が格段に良くなった。おそらく肉を消化するために、胃を始めとする内蔵に大きな負担が掛かっていたのだろう。

 ビタミンやミネラルの欠乏を感じ、今は少しは肉も口にするが、やはり野菜中心の食生活には変わりない。

 次に白米の量を減らした。

 ちょうどその頃に長期でスイスに滞在した。滞在したのはドイツ語圏で、毎日のように高脂肪な食事が続いた。ところが帰国して体重計に乗ってもあまり変化はない。思い返すとスイス滞在中はパン食がほとんどだった。そこで白米を減らし、パンやパスタを代わりに摂取するようにした。そしたら体重がどんどん減り始めた。もっとも減少した時点で71キロ。この体重はモデル時代でも少ない方の体重だ。

 まったく食事の量は減らさなかったし、食事を我慢した覚えもない。が、5キロから6キロほど体重が落ちた。これがおそらく「Lo GI」の食事療法に繋がっていたのだと思う。ただ実感したのは、世間で報告されている「GI値」の数値だけではなく、インシュリンに反応する食品群が、個人によって違いがある、ということである。こればかりは試してみないと分からない。自分自身が太りやすい炭水化物を早く発見することが、体重減に繋がるもっとも確かな方法だと思う。

 酒は好きなので毎日のように呑んでいる。が、若い頃みたいに、翌日に残るほどは呑まなくなった。まあそうは言っても、気の合う友と呑む時には、どうしても限度を超えてしまうが。

 カフェインの摂取も少し減らした。カフェインも毎日、同じ量を飲んでいると体内にカフェインに対する耐性が出来て、それまでの量と同量のカフェインを摂取しても効き目がなくなる。そこでその「耐性」を、時々、リセットする摂取方法を試みている。

 もちろんタバコは吸わないし、睡眠は十分に取るように心がけている。そしてストレスを感じないような環境を、意識して作り上げている。

 生活にどんな工夫を取り入れても、病気や老いには勝てない。だが、だからと言って、なにも努力しないのは愚かだと思う。

 「健康」ってカッコいいと思う。

 なぜなら「健康」な人は、他者に依存することが少ない。

 保険を使用する回数が少ないということは、国家の予算に貢献しているということに繋がる。もちろん家族や友人にも迷惑をかけることも少ない。つまり「自立した人間」と言えるのである。

 ダイエットやアンチエイジングによって、外見が美しく保たれることは大切だと思うが、もう一歩、踏み込んで、この「自立した人間」を目指せば、社会貢献に繋がるのではないか。 

 ネット社会の充実により、一歩も動かなくとも、他者と繋がったり、欲しいモノが手に入る時代ではあるが、そういう時代に生きるからこそ、人間本来の「チカラ」を引き出す生き方が求められるのではないか。

 ダイエットとアンチエイジングの本質は、まさにそこに存在価値を見出すのである。






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 例えば食卓に、ご飯、サラダ、肉、豆腐と並んでいたとする。これをどういう順番で食べるのが適切か?

 答えは、サラダ、豆腐、肉、ご飯の順番である。

 なぜか?

 人間にとって不可欠なエネルギー源は「糖分」である。糖分が切れれば身体は動かなくなり、脳は思考能力を失う。だから切らせることのできない存在だ。

 だが「糖分」を取ると、膵臓からインシュリンというホルモンが出てきて、糖分をエネルギーに変換する。が、この時点で余分な「糖分」は「脂肪」に変換されて身体に蓄えようとする。しかも一気に血糖値が上がると、過度にインシュリンが分泌されて低血糖を招き、それが空腹感を招き、より食欲が旺盛になる。

 だから同じ「炭水化物=糖分」を摂取するのでも、インシュリンが過度に反応しないように、だましだまし摂取するほうが、「糖分」が「脂肪分」に変化しにくのである。

 だから上記の順番で食べるのが望ましいのだ。

 しかも! この「糖分」に反応しやすくなると身体の「糖化」が進み、それが老化に深く影響していると、最近の研究結果で分かってきている。これまでは老化には身体の「酸化」が深く影響していると言われていたが、「酸化」と同じくらいに老化を早めるのが、この「糖化」という訳である。

 「じゃあ、いっそうのこと、炭水化物の量を減らせばいいんだ」と解釈して、単純に「低炭水化物ダイエット」に飛びつくことは危険だ。

 たしかに「糖化」するほど、一気に炭水化物を摂取することは良くないが、炭水化物が不足すると動脈硬化を発生させて、心臓発作と脳卒中のリスクを増加させるという危険性が報告されている。

 つまり炭水化物を摂取しないのではなく、なるべくインシュリンが反応しない炭水化物を摂取することが望ましい。

 それが「Lo GI」と言われている炭水化物群である。

 「Lo」は「低い」という意味。「GI」は「グリセミックス・インデックス」の略で、この「GI」値が低い食品を摂取することが、もっとも賢い食品摂取の方法である。

 もちろんこれまでに述べてきたスポーツの重要性や、食品成分の重要性も大切な要素だ。しかし自分自身のこれまでの経験から言えば、成人のタンパク質の摂取量は、それほど多くなくても大丈夫のような気がする。

 実際に50歳を機に肉食を控え、これまでの3年間は肉をほとんど口にしなかったが、とくに筋力が落ちたと感じないし、ウエイトトレーニングによる筋量の発達に変化を及ぼすとも感じない。

 そしてもっとも重要なことは、自分の身体にきちんと向き合うということである。

 このことが、美しいダイエットと真の意味でのアンチエイジングを実現させるのである。

 規則正しい生活、ストレスフリー、適度な運動、暴飲暴食を避け、食品の成分や種類に敏感になる。

 それだけでもメタボや老化に対する、十分な対抗策になると言えるのだ。





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 前回は摂取カロリーと消費カロリーについて話した。

で、さらには筋肉量が多ければ、より多くの糖分を消費すると報告した。つまり筋肉の量が多いと太りにくい体質を作るのだ、と。だから体重だけに拘らずに、自分自身の体組成をよく知る必要がある。

 ではより良い組成を得るためにはどういう食事バランスが望ましいのか?

 一般的な割合を言えば、タンパク質が45%、炭水化物が40%、脂肪分が15%と言われている。

 例えば一日に2000キロカロリーを摂取するとしよう。で、上記の割合を勘案すれば、タンパク質に900キロカロリー、炭水化物に800キロカロリー、脂肪に300キロカロリーを摂取すればいいのだ。

 ご飯一杯が140グラムとして235キロカロリー。と言うことは一日に3杯強で十分である。が、タンパク質の摂取はそんなに単純ではない。

 タンパク質を多く含んでいるのは、言うまでもなく肉で、肉を摂取すると、それに付随して脂肪分を多く摂取してしまう。そこで「低脂肪、高タンパク」食品が望まれるのだが、鶏の胸肉などがそれにもっとも相応しい食べ物だ。赤身のマグロなども「低脂肪、高タンパク」と言われている。だが、胸肉にしろ、赤身のマグロにしろ、100グラムあたり、タンパク質の量は僅か15グラムほど。

 一般的に自分の体重×2グラムのタンパク質が必要とされているので(例えば体重70キロの人で140グラムのタンパク質が必要とされている)、この方程式に則れば、体重70キロの人はバサバサの鶏の胸肉を1キロも食べなくてはならない。それは無理な話だ。そこで登場するのがサプリメント。栄養補助食品という訳だ。足りない「タンパク質」をプロティン・パウダーなどから補うという発想である。

 サプリメント摂取の必要性をここで語るのは、また別の機会を設けるが、とりあえず人間の身体組織を理想的に創り上げるのには、上記のバランスが大切なのである。

 (次へ続く)





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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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