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2015年7月アーカイブ

日本再発見2015 その8

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 試しに「熊野古道」とネットで検索すると、必ず登場するであろう写真が「観音通り」の風景ではないか。以前にも言ったが、一口に「熊野古道」と言っても、その道は4府県に跨がり、歩く道によって様々な表情を見せるが、この「観音道」はその代表的存在とも言える。

 まずはJR紀勢本線の「おおどまり」の駅のすぐ傍にある登山道に入ると、「西国三十三所観音石像」の第五番~第十五番の11体の観音像たちが並んで出迎えてくれる。そこから約1㌔先に「比音清水寺」跡があり、この「比音清水寺」には古くから近所の人々が「観音講」を作って詣っており、809年(延暦23年)に坂上田村麻呂(蝦夷大将軍)によって建立されたという。

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 「比音清水寺」を通りすぎて頂上にたどり着くと、その道は今度は「大観猪垣道」へと続いている。この「大観猪垣道」というのは、猪や鹿から農作物の被害を防ぐために作られた石垣の登山道で、この道にも、やはりかつての人々の労苦の跡が見受けられる。

 「大観猪垣道」は大吹峠へと続き、大吹峠を右折して登山道を下りて行けば、また元の「おおどまり」の駅近くの海岸へと辿り着く。この下りの登山道は美しい竹林に囲まれ、日本の繊細な情緒が存分に堪能できる道でもある。そして大泊の海岸は、真っ白な砂浜と淡藍色の透明な海が、まるで南国の海のような美しさを魅せており、登山で疲れたカラダとココロを優しく癒してくれる。いつか機会があれば、この海で泳いでみたいと思わせる。

 繊細で美しい日本の自然、そして古来より続く厚い信仰。「観音道」はその双方を満喫できるのである。

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日本再発見2015 その7

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「眼下に輝く渓谷を眺めながら

ダイアモンドみたいに輝く砂漠を通り抜けて

風に波打つ小麦畑や、舞い上がる土ぼこりの中を通り抜ける。

鐘の音が聞こえて、やがて霧が晴れていく

この国はあなたたちと私たちのためのもの」

これはアメリカのフォークシンガー、ウディ・ガスリーの「わが祖国」の一節である。

秋になって風に揺れる黄金色の稲畑を見る度に、ボクはこの歌詞を思い出す。

かつては2440枚もの棚田があったと言われる「丸山千枚田」も、季節に応じてその美しい姿を見せるが、作物がまったくない冬季でさえ、その棚田は日本の美しい原風景の面影を保っていた。夏にはこの棚田が緑に揺れると言われ、夏の夜にはライトアップも施されると言う。

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紀伊半島も熊野を過ぎれば交通の便も悪く、クルマがようやく一台通れるくらいの山道が続くが、だからこそ、古来から連綿と続く美しい日本の風景が保たれていると言える。

地元の人々の暮らしの不便さには慮れるが、すべての地域での交通網が整備されることがいいとは限らない。この地を旅していると、とくにそう思う。

海岸線に出れば、どこか南の島のような白砂の浜に淡藍色の透明な海。そして一歩山に入れば、雅やかな竹林や田園風景が拡がる。

ウディ・ガスリーはアメリカの原風景を牧歌的に謳い上げたが、我が日本でもそこかしこに、美しい原風景が息づいているのである。

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丸山千枚田の美しい風景を俯瞰から臨みたいのならば、「通り峠」からさらにこの170段の階段を登らなければならない。




日本再発見2015 その6

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 普段は4時50分くらいに目覚め、メール等のチェック、日記を記入、気になるニュースなどを閲覧して、5時45分頃から朝のランニングに出掛ける。ランニングから戻って、軽くウエイトトレーニングをこなし、ストレッチの後にシャワー。そして朝食を済ませて仕事に就く。

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 これが日常の朝のパターンである。一日の中でも細かく予定を立て、その予定に従って動くのが好きだが、夕方になるとそれまでのペースを崩し、夕陽を見ながら酒を呑む。最初の酒の酔いが全身に廻り始めたら、料理の準備をする。この夕陽を見ながら酒を呑む時間を「Happy Hour」と呼んでおり、自分の中ではもっとも大切な時間である。それは日常でも旅先でも変わらない。蛇足ながら、我が孫娘もこの「Happy Hour」が大好きで、「ハッピーわわ~」と言いながら、ボクの横に座って、酒のツマミのチーズを横取りする。いずれにしても、己にとってこの時間帯は安らぎのひとときである。

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 「馬越峠」を歩いた後、ベースキャンプである「孫太郎オートキャンプ場」に戻り、海に沈む夕陽を眺めながら「Happy Hour」を堪能する。特に一仕事終えた後の酒は旨い。翌日は別のキャンプ場に移動して「丸山千枚田」を歩くつもりだ。移動の途中、世界遺産に登録されている「獅子岩」の見物にも行こう。急ぐ旅ではない。じっくりと、歩くようなスピードで見て回れば良いのだ。それが今回の旅の大切なテーマでもあるのだから。





日本再発見2015 その5

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 「孫太郎オートキャンプ場」からクルマで約20分(無料高速道路)で「道の駅 海山」に到着する。その「道の駅 海山」にクルマを停め、歩いて3分ほどで「馬越峠」の登山道の取り付き口だ。ここからJR尾鷲の駅まで約5㌔の道が続いており、トレイルを歩き終われば、そこからバスに乗って戻ってきて、クルマをピックアップするつもりだ。

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 「馬越峠」を歩き始めると、まずその石畳の道の美しさに引き込まれる。その道幅はかつて巡見使たちが担いだ籠に合わせて一間半(2,7㍍)の幅があり、石畳と言えどもかなり巨大な岩がランダムに埋め込まれている。この辺りは年間を通じて多雨地域で、雨が降ると道が泥濘む。それを防ぐために江戸時代にこの道が石畳で整備された。エジプトのピラミッドも多くの人々の苦難の上に建造されたと思うが、この巨大な岩を敷き詰めた石畳の道を歩くと、一歩、一歩、先人たちの労苦が偲ばれる。

 「馬越峠」の峠から横道に逸れると、その道は天狗倉山に続いており、せっかくなのでそこにも寄ってみることにした。頂上からは尾鷲湾が綺麗に見渡せ、この山道が海に近いことを再認識させられる。なるほど、出発地である道の駅が、「海山」というネーミングも頷けるのである。

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 トレイルを歩き終わって、クルマを取りに行くためにバスに揺られていると、なんだか遠くに来たなあ・・・と突然、深い旅情に包まれる。このようなローカルの公共交通機関を使うのも、旅の風情を盛り上げてくれるのだ。





日本再発見2015 その4

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 今回の旅を続ける上で、多少のネックになっていることがスパーキーの存在だ。実は犬などのペットの入場を禁じているキャンプ場が結構、多い。この後に訪れる予定の「しまなみ海道」のキャンプ場はほとんどがペット禁止だし、特に「三セク」と呼ばれる半公営のキャンプ場はペット禁止のところが多い。それでなくとも冬季、閉鎖しているキャンプ場が多いので、ペットが入場できるキャンプ場の選択肢の少ないことが、今回の旅の予定をかなり制限していた。

 尾鷲にある「孫太郎オートキャンプ場」も繁忙期にはペットの入場を禁止しているらしいが、この時期ということでなんとか宿泊させてもらった。

 熊野灘海浜公園に隣接する「孫太郎オートキャンプ場」は静かな内海に面し、どこのサイトからも穏やかな海が見える。食料品等を調達できる町まで10分ほどで、美しい自然環境に囲まれている割には、なにかと便利なキャンプ場である。

 「サンライズ・マッキー」から郵便局留めで送って貰ったカプラーを引取に行き、説明書と睨めっこしながらなんとか取り付け、「LittleGuy」のすべての燈火類が点灯するようになった。これで一安心。旅を続けるうちに懸案事項が増えて行くのは困るが、逆に少しづつ減っていくのは嬉しいことだ。

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 それにこのキャンプ場から世界遺産に登録された「馬越峠」のトレイルが近いことも分かった。一口に「熊野古道」と言っても、その道は三重、和歌山、奈良、大阪の4府県に跨がり、道の表情も様々である。2004年には「紀伊山地の霊場と参道道」として、その一部が世界遺産指定されている。

 翌朝早くからそこを歩く為に、夕食の後に準備を済ませ、潮騒に包まれながら眠りに就いた。





日本再発見2015 その3

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 津で美味しい中華と爽やかなレインボー・ランニングを満喫した後、今回の旅で初めてのキャンプ泊をする為に、伊勢志摩の「志摩オートキャンプ場」に向かった。本当はこの「志摩オートキャンプ場」に長期滞在して、「熊野古道」をあちらこちら歩いてみたいと考えていたが、キャンプ場の方にそのように告げると「ウチは長期滞在して貰えれば有難いが、熊野古道を歩くのなら、もっと南の尾鷲市にある孫太郎キャンプ場などを基点とした方が便利」との情報を頂き、その有難い情報に従って、「志摩オートキャンプ場」は一泊だけにして、次の日は「孫太郎オートキャンプ場」に移動することにした。自分自身もキャンプ場をオーガナイズしているが、こういう地元の有用な情報を発する姿勢は高く評価したい。

 「熊野古道」に拘りがなければ、「志摩オートキャンプ場」は長期滞在したいと思わせる素敵なキャンプ場だった。海には面していないが、キャンプ場のプライベート・ロードを降りきると、そこには「御座白浜海水浴場」が静かに佇み、あの「金比羅山」への登山道も隣接している。暖かい季節には、多くの海水浴客で賑わうことだろう。

 我々も早朝から「御座白浜海水浴場」の浜を散歩して、金比羅山の頂上まで登ってみた。

 途中、年配の登山者とすれ違うと「今日は天気がいいけど、残念ながら富士山までは見えなかった」と挨拶代わりに言われた。「こんなところから富士山が見えるのですか?」と驚いて訊ねると「ホントに、ホントに年に数回、空気が澄んでいる時にねえ・・・」とその年配の女性は答える。

 「実は我々は、その富士山の麓から来たんです。まさかこんなところまで来て、富士山が見えると聞いて、ちょっと驚きました」と答えると、「じゃあ富士山はいつも見慣れているのね」と笑顔で下山して行った。

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 金比羅山の頂上に着くと、確かに富士山の姿はどこにも見当たらないが、英虞湾や遠く熊野灘の絶景が眼下に拡がっている。

 「秋凪(な)ぎの、英虞の海庭(うなにわ)漕ぎ廻(た)みて、いにしへいまの時もわかなく」と、近代日本の歌人である吉野秀雄が詠んだ歌碑があった。

 人は美しく雄大な景色を目の前にする時、かつて古人たちが同じ情景に見惚れたことに思いを馳せ、悠久なる時空の中にしばし己の存在を漂わせる。吉野がここを訪れ、いにしえの歌を詠んだのはいつのことなのか・・・しばし目の前に拡がる景色と時間を交錯させる。

 確かにここはまだ、熊野古道には遠い。が、ここに一晩泊まった価値は充分にあった。

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日本再発見2015 その2

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 日常と旅での暮らしを、どこまで区別するのか? それはボクにとって未だに解決できないテーマである。旅に出た時くらいは普段と違ったルーティンを、とも思うが、その反面、旅のリズムを掴む為にも、日常と変わらない行動パターンを、とも思う。

 日常では必ず朝、走ることにしている。距離にして10㌔、時間にして1時間。旅に出てもそれは変わらない。早朝から知らない町を走るのは、新たなコースを発見する喜びもあれば、道に迷わないかと些かの不安も感じる。だが日頃と違った風景に出逢った瞬間、やっぱり走って良かったと強く思う。

 愛知県の蒲郡に本社を置く「新富士バーナー」を出た後、我々は次の目的地である津の町に向かった。

 このブログでも紹介したので、覚えている方もいると思うが、2012年にワラーチという自家製ランニング・サンダルを履いて、自宅の河口湖から神戸まで約450㌔を走破した。途中、いろいろな町で野宿をしたのだが、今回、再訪する津もそのひとつだ。で、その時に、とても美味しい中華料理屋を見付けたのだ。

 基本的に野宿している間はずっと自炊をしていたのだが、大きな町ではやたらと勝手に火を使うことも出来ないので、時には外食で済ませた。で、その時に津で美味しい中華と出会ったという訳である。

 だからいつか津の近所を通り掛かる機会があれば、またもう一度、そのお店に行ってみたかったのである。

 約2年半ぶりに訪れた店は、当時の味わいも変わらずに(しかも安い)、再び、我々の胃袋を充たしてくれた。そしてその翌朝、宿泊先近くの阿漕浦海浜公園を愛犬のスパーキーと走っていたら、美しい虹がヨットハーバーに掛かったのだ。

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 「朝虹は雨の前兆」と言われるし、実際にその朝は霧雨が降っていたが、我々の旅のスタートを祝福してくれているような気になり、とても爽やかな朝を迎えることが出来た。

 旅に出た時くらいは日常とは違う行動をしてもいい。が、早朝のランだけは、国の内外を問わず、己のルーティンには欠かせないのである。

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中華料理屋で「レオン」という屋号には違和感を感じるが、味と価格は間違いない。
津に行くことがあれば寄るべし。




日本再発見2015 その1

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 今年の1月末から2月いっぱいまで、熊野古道、しまなみ海道、四万十川の3箇所を中心に旅をした。

 その様子は実業之日本社から出ているアウトドア雑誌「ガルヴィ」で紹介して頂いたが、前月号でその連載も終了し、より詳しいことを紹介したいのと、自分自身の備忘録として、これからこのブログにて報告したいと思う。

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 厳冬期の河口湖の自宅を出発したのが1月21日。まずは今回の旅の相棒である「LittleGuy」の販売店である、磐田の「サンライズ・マッキー」へと向かった。「LittleGuy」というのは、ご存知の方も多いと思うが、就寝だけに特化した小型のキャンピングカーで、厳冬期のキャンプでは快適に過ごすことが出来る。その「LittleGuy」に、今回の旅のスポンサーであるメーカーのステッカーなどを貼ってもらう為に、予め「LittleGuy」を「サンライズ・マッキー」に保管しておいたのだ。

 ところがこのステッカー貼りに予想以上の時間を取られる。と言うのも、実はこの「LittleGuy」の車体の塗装が弱く、大型のカッティングシートで作られたステッカーを剥がす時に、車体自体の塗装まで一緒に剥がれてしまう。そんなことを何度か繰り返しながら、なんとか翌日に無事に出発。

 で、普段から懇意にして頂いている「新富士バーナー」の本社へと向かった。「新富士バーナー」は蒲郡に本社を置くガス器具の会社で、最近では日本はもちろんのこと、海外で高く評価を受けているガスバーナー等を販売している。中でも軽量のガスシングルストーブの「マイクロ・ジェネレーター・ストーブ」や、ガソリンを燃料とするシングルバーナー「MUKA」などは、アメリカの権威あるアウトドア雑誌「BACK PACKER Magazine」の「エディターズ・チョイス」という賞を受賞している。

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 今回の旅でもサポートを快くお引き受け頂き、旅の出発に際して会社を表敬訪問したのだ。そこで豪華ランチまでご馳走になり、いよいよ本格的に出発という段階になり、「LittleGuy」のブレーキランプとウィンカーの不具合に気付く。後々になって分かったのは、「LittleGuy」を牽引するFJクルーザーのカプラー(電気関係のコードを繋ぐ器具)内が錆びており、それが理由で接触不良を起こしていたのだ。本来なら「サンライズ・マッキー」で気付くはずが、ステッカー貼りの件で気を取られ、基本的な確認が漏れていたのだ。で、結局は「サンライズ・マッキー」から新しいカプラーを、三重県の「孫太郎キャンプ場」近くの郵便局に送って貰うことにした。

 初日から波乱含みのスタート。この先、いったいどうなるのやら。





風が吹けば桶屋が儲かる

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この写真と本文は無関係


 ギリシャの財政破綻が毎日のようにニュースで取り上げられ、奇しくもその返済期限が来たその日に、東海道新幹線の車内で焼身自殺をした老人が現れ、新幹線乗車時の保安点検の是非が議論されている。

 このなんの脈略もない2つのニュースには、ひとつの共通点が見出される。それは「社会的弱者が、いずれは社会の脅威となる」という点である。

 新幹線車内で焼身自殺を遂げた老人は71歳で独り暮らし。住んでいたところは川崎のアパートで、年金で細々と暮らしていたが、最近では自身の経済状況に付いて、周囲に不満を漏らしていたと伝えれている。これもまた、最近、巷で話題になっている「下流老人」の典型である。

 ギリシャが財政破綻した場合、融資元のIMF(国際通貨基金)やEU(欧州連合)が経済的な被害を被り、それは直接、我々日本人の暮らしには影響がないように思えるが、ご存知のように中東を中心にその勢力を拡大しているIS(イスラミック・ステイツ)などは、欧州の貧困層の若者たちを狙って、その活動メンバーを増やしている。このままギリシャの財政破綻を見殺しにすれば、いずれはその末端のどこかで、貧困にあえぐ若者たちによる過激なテロ集団への参加や、アンダーグランドでの犯罪に繋がっていく。

 資本主義社会の「悪の方程式」として、貧困層が富裕層を暴力によってその暮らしを脅かす、というパターンが存在する。

 その暴力は、ひったくり、詐欺、強盗、テロなど、殆どが捨て身の手法に依るもので、これ以上、失うモノがない者の強みである。おまけに「殉教者は來世で救済される」と説かれれば、命を簡単に投げ出す者が現れても不思議ではない。

 もちろん富裕層は「失うモノ」を両手いっぱいに有り余るほど抱えているので、捨て身の暴力には敵わない。

 平均的な価値観を持ち、同様の宗教観を抱いて来た日本人社会では、これまで他人の財産や生命を脅かしてまでも、己が生き延びる選択をする者はごく僅かであったが、今後はそういうケースの犯罪が増えて行くのは、アメリカの現在を鑑みれば容易に想像できる。人種的なマイノリティの増加も、その大きな要因となるだろう。

 今回の新幹線車内での焼身自殺事件を伝えるニュース番組では、東京オリンピックを控え、その安全対策ばかりを議論している感があるが、もっと根本的な問題である「下流老人」問題などの貧困対策を、この事件を機に積極的に議論すべきだ。

 貧富の格差によるツケは、必ず富める者が支払うことになる。そのツケに「生命の危険性」という余分な利息を付けない為にも、今後の対策が重要となるのである。







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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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