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2010年4月 2日アーカイブ

往復250キロの旅

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 先日、次男と東京までバイクの旅をした。
 一枚でも写真を掲載したかったが、カメラを持って行く余裕も、撮影する余裕もなかった。
 なぜ、そんなに余裕のない旅となったのか?
 旅の理由はこうだ。
 東京に住むモデル時代の先輩がかつて乗っていた原付バイクを、次男に譲ってくれるということになった。その原付バイクはかなりカスタムを施してあり、十分な手間と経費が掛けられていたが、先輩はその後、排気量400の中型バイクに乗り換え、その原付は今ではほとんど放置された状態だった。
 で、その家に遊びに行く度に次男は目敏くその状態を指摘して、譲り受ける約束にこぎつけたのであった。まあ奴はその辺の交渉術に長けている。
 で、先輩との約束では「独りでそのバイクを取りに来て、そのまま乗って帰る」というモノだったが、先輩にしてもボクにしても、東京、河口湖間約100キロを、原付で単独運転させる気持ちは毛頭なかった。
 結局はボクの排気量223の愛車FTRに二人で跨り、中央高速を使って東京まで行き、先輩の家で一泊、翌日、2台のバイクで下道を走って帰ってくる、という行程が出来上がった。
 しかしそれを実行する上で、準備することがあれこれあった。
 まず先輩の方は、「河口湖までなんとか乗って帰ることができるようにしてあげる」と次男と約束してあったらしいが、部品の一部が間に合わなくなり、当日になって東奔西走していただく羽目になった。ボクはと言えば、強風の中央高速を二人で軽量のバイクにしがみつき、車の倍の時間を掛けて都内に入り、一息付く間もなく、保険会社に名義変更等の手続きに行った。もちろんそれ以前に新たなナンバープレイトも取得していた。
 クラッチワイヤ、チェーン、オイル交換を済ませて、なんとか走れる状態になったバイクだが、どうしてもバッテリーの状態が悪く、ウィンカーランプの点きが悪い。ボクのFTRもオイル交換の必要もあったので、横浜にある馴染みのバイク・ショップに寄って行き、その辺りの最終整備もしてもらうことになった。
 都内から横浜までの走行も長かったが、バイクショップを後にして、国道246を走り始めてから、本格的な旅は始まった。
 横浜、御殿場間、約80キロほど。東名高速に乗ればわずか45分ほどの距離である。だが原付バイクと中型バイクの2台では、途中のランチタイム休憩を入れて、約3時間の旅となった。そこから河口湖まではさらに1時間である。
結局は朝10時半に世田谷の先輩宅を出発し、河口湖の自宅に到着したのは夕方の4時半。6時間のロングドライブとなったのだ。
 信号で停車する度に、お尻の痛さを軽減する為にバイクから立ち上がる。そして互いに顔を見合わせると、寒さのせいで洟も垂れている。ランチタイムにウエット・ティッシュで顔を拭くと、ティッシュは真っ黒。クラッチとブレーキレバーを握る手がかじかみ、自宅に到着した時には抱擁しあって互いの労をねぎらった。
 しかし旅の途中、ハンドルミラーに映る次男のヘッドライトの灯を確認し、遅れて大きく離れた時にはしばらくバイクを停めて待つ。見上げるといろいろな場所で桜が満開の時期を迎え、周囲の山々も春の気配に包まれている。特に厚木を越えてから御殿場まで、秦野や松田と言った長閑な山道を走っているときは、まったく見知らぬ街を旅している気分に包まれた。
 おそらく、再びこのような旅をすることはないだろう。次男ももうすぐ18歳。そうなれば今度は車に夢中になるはずだ。
 厳しい旅であったことには違いないが、この旅は、ボクにとっては確実に忘れえぬ想い出となったのである。 




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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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