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遙かなる赤銅渓谷8

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 レース前日の土曜日の朝、子どもたちだけのレースが開催された。スタートは明日の本番と同じくウリケの村の広場だが、距離は2マイルで約3キロ。距離が短いこともあるが、皆、スタートから猛ダッシュである。靴を履いている子ども、ワラーチの子ども、普通のサンダルの子ども、裸足の子ども...皆、必死に走っている。景品の玩具やお菓子が目当てなのか、それとも子どもなりに名誉を掛けているのか、あるいはもっと他の動機があるのか、それはまったく判らないが、とにかく皆、必死で走っている。あとから写真をPCに落として見たら、走っているというより「飛んでいる」子どももいる。

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 まったく関係ないが、我が河口湖の地元の方言で、走ることを「飛ぶ」という。おそらく甲州弁でそのように表現すると思われるが、最初はなんのことか解らなくて、カホの自宅に電話した時に「今、トビに行ってるよ!」と言われ、「????」だらけで受話器を置いた記憶があるが、ここの子どもたちはホントの意味で「飛んで」いる。それにストライドも広い!

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 あっと言う間に子どもたちのレースが終わる。そしたらその様子を取材していた、エルパソから来たというテレビクルーが「エル・ドランゴン」に取材を求めて来た。その取材で弘樹が明日、ボクのペーサーを務めると言ったので、次はボクも取材を受けることになる。まあどっちみち使われないだろうが、調子に乗って自作のワラーチの自慢までしてしまった。ちなみにボクが取材を受けている後方、写真右側にピンクのシャツを着て映っているのが、アノ! 伝説のアルヌルフォである。

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 広場にはお土産などを売るいろいろなお店が出ており、本家本物のワラーチも売られていたが、とてもじゃないけど履いて走る気にはなれない代物で、残念ながら購入は諦めた。(手持ちのペソが底を尽きかけていたということもあるが)

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 夕方、早めに宿に帰って、弘樹とレース当日のペースなどの打ち合わせをした。

 「どうですか? 膝の具合は...」と弘樹は心配そうに訊ねる。

 実は昨年の6月に突然、膝に水が溜まるという症状が出だした。ある日突然だ。で、病院に行ってその溜まった水を抜いて貰ったが、一週間ほど経つとまた溜まる。しかも一回に50CCくらいの水が抜ける。幸い、黄色い透明の水で(濁っていたり、血が混ざっていると良くないらしい)、抜くとラクになるが、溜まると正座さえもできない状態になる。もちろん走ることも出来ずに、約4ヶ月間、ほとんど走ることが出来なかった。

 理由? まったく判らない。

 ワラーチ反対派から言わせれば、ワラーチの責任にされるし、ワラーチ賛成派から言わせれば、不安材料になるので、極力、誰にも言わないようにした。

 MRIも撮ったし、CTスキャン、レントゲンも撮った。血液検査までした。が、理由はまったく判らない。不思議と10月になると水が溜まらなくなり、10月末に開催された諏訪湖ハーフマラソンは、それなりに走ることが出来た。もちろん4ヶ月のブランクの後なので、タイムは酷いモノだったが、それでも走ることが出来た。そこから少しずつ距離を伸ばしていていき、年末年始にはロングを走ったが、練習不足は否めない。しかも未だに正座もできずに、ハードな練習をすると必ず膝が痛む。

 「そんなに悪くはない」と応えると、弘樹は顔をシカメて言った。

 「難しいところなんですよね・・・レースに出る限りはベストを尽くして欲しい。だけどレースはこれが最後じゃない。また来年だって開催される。だから無理してベストを尽くすことで、今後、走れなくなるのもナンセンスだと思う」

 まったく弘樹の言うとおりである。レースの為に走るのではない。自分自身の人生を豊かにする為に走るのだ。一回のレースの為に、走れなくなるのはホントに馬鹿らしい。

 「弘樹も良く知っていると思うが...」とボクは言った。

 「若い時にはいろいろなレースに出たもんだよ。こう言った海外のレースもね。特に想い出深いのは92年のレイドゴロワーズだ」

 弘樹がそれを聞いて言った。

 「もちろん知ってます。それはボクにとって原点ですからね」

 ボクは続けた。

 「しかしだ。これも言ったかもしれないが、93年にパタゴニアのイボンと会った時に、レイドに出場したと言ったら、ただ一言、bullshit! と言われた」

 そこで互いに苦笑いした。

 「初日に馬の下敷きになって、足の指を骨折して、そこから食うや食わずに12日間も続けたレースに参加して、一言、bullshitだ」

 それまでベッドに半分寝転びながら話していたが、ボクは座りなおして弘樹を見つめた。

 「それから自分自身でも思うこともあり、こういうレースからは遠ざかっていた。が、今回のレースだけは避けては通れない。それに22年ぶりの海外でのレースだ。例えレースが終わって、半年やそこら、走れなくなっても必ずゴールを目指す。いやゴールじゃなくてもいい。走れる限りは走り続ける」

 しばらく二人とも黙っていた。が、弘樹が静かに言った。

 「分かりました。最後まで頑張りましょう」

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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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